2008年11月14日 (金)

だんだん寒くなってきました!(一週間のダイジェスト)

週末に影絵の公演がありました。そのための準備でとても忙しかったです。

今回はH幼稚園の同窓会。つまり小学生が対象なので、内容を少し変化させ、スマトラトラとバビルサ(鹿豚)を登場させました。

昨年公演したときはすべてもメンバーが幼稚園のお母さんだったのですが、半分くらいが卒園してしまい(私もその一人)、在園組と卒園組のスケジュールを合わせるのがとても大変でした。結局しっかり練習できたのは前日一日と当日のみでした。これからどうやって活動していくかも課題のひとつです。

さて、肝心の公演のほうですが、小学生だけあって、公演中の突っ込みが厳しかったです(汗)。でも話が佳境に入ると、とても静かでした。たくさんのメッセージをこめた影絵です。ほんの少しでもいいから子どもたちに伝わるといいな、と思いました。Ca390558 Ca390556_3

そのほかの出来事ですが、毎日の小学校までの道のりが寒くなってきました。でも四季折々の風景が見れて、なかなかいいものです。Ca390541

そして影絵公演が終わったからではないのですが、食べ歩きの毎日でした。踊りの仲間とランチしたり、ハワイの友人が一時帰国していたり、毎日リラックスしました。

最近のランチは軽めでヘルシーなので、どれも良かったです。しかも最近はランチだと結構お安いのもうれしい限りです。そのうち、いくつかを紹介します。

まずは鎌倉の「どんぶりカフェBowls」と言うお店。去年オープンしたばかりのお店ですが、とても明るくておしゃれ。夏の間はクロックスとコラボして海の家をやっていたそうです。

そして代々木八幡の「とうふ美人」。ここは全国で一番小さい豆腐屋さんらしいです。とてもヘルシーなランチがたったの1000円。お豆腐はとにかくおいしかったです。

そして横浜ワールドポーターズ内にあるインドネシアレストラン「スラバヤ」。ここのサンバルゴレン・ウダン(海老のココナッツミルク煮)が大好きです。あとはグラメラ(やし砂糖)を使ったデザート。

とても天気のよい日で、桜木町駅からワールドポーターズへの道が気持ちよかったです。Yokohama Yokohama_2

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2008年3月16日 (日)

しみ抜き生活

明日は卒園式。これでとうとう幼稚園生活も終わりとなる。

あまり感傷に浸る時間がなかったのも、卒園の準備がいろいろあるからだ。洋服選びも大変。息子のKは去年いただいたスーツを着る予定だった。去年の段階ではかなり大きかったのだが、一年たてばちょうどよくなるだろうと思った。先週試してみてびっくり。まだまだぜんぜん大きすぎるのだ!

早速一年下の園児に聞くが、さすがにスーツを持っている人はいなくて、そうなったら去年の卒園生で体の小さめの子どもにターゲットを変更。幸いいろいろな人に声をかけていたこともあって、どうにか貸してもらえることになった。

次は私の着るもの。フォーマルな洋服は持っていないのでここは着物にすることにした。せっかくなので、いつも着ることのない絞りで模様がついた着物にすることにした。それで数日前だしてみたら絶句。シミが多数あるのだ(涙)。おまけに衿にもファンデーションのシミがついている。他の着物にすることもできるが、柄といい、色といい、とてもよい着物だ。今回着なければまさに「たんすの肥やし」になってしまう。

一年発起してシミ抜きを始める。とはいえ、これは何十年も前に母がつけたシミ。そう簡単に落ちるはずはない。水、中性洗剤、重曹、いろいろ試して結果を見る。ちなみに油性のシミは輪郭がぼやけていて、水性のシミは輪郭がはっきりしているらしい(本当かな?)。なかなかよい結果が出ないので、とうとう薬(!)に手を出した。クリーニング屋さんで使うような石油系の溶液数種類。環境には悪そうだし、引火して火事を起こすこともあるらしいが、かなり効果はある。

シミ取りの方法はプロに怒られるので、ここには書かない(かなり乱暴なやり方なので…)。さらに掛け衿を取り外し裏返しにして縫いつける。和裁ができない私にとってかなりのチャレンジだ。多少ガタガタになってしまったが、ネバーマインド。一人でやったことに意義がある、と考えることにした。

Ca390487 Ca390488

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2008年3月 9日 (日)

卒園パーティー(おサルになった日)

金曜日は卒園パーティーだった。2月は舞台やら、影絵やら、休む間もなくすごしてきましたが、休むまもなく卒園前の大イベント、卒園パーティーの準備に着手した。

この卒園パーティーは基本的にお母さんが企画する。お母さんたちはいくつかの班に分かれて準備作業を行ってきた。当日の会場を装飾する班、食事を用意する班、卒園製作を担当する班、ゲーム、歌などを考える班、等々。

私は歌の班だった。それで当日は動物に扮しようということで、幼稚園所有の十二支の着ぐるみを皆で着た。私はおサルになった。

あわただしかったので、たくさん見ることはできなかったが、影絵のメンバーが中心にシルエットクイズをやったのがとても面白かった。これは卒園する子どもを幕の裏に立たせ、ライトを当て、誰の影かを子どもにあてさせるゲームだ。卒園生がスクリーンの後ろに立つや否や、「○○だ(子どもの名前)!」と一瞬で当ててしまう。このゲーム担当のお母さんは、なかなかわからない場合を考えてヒントを用意していたのだが、一度も使うことなく、予定した時間よりずっと早く終わった。子どもは「目」だけで友達を見ていないのだな、と感心してしまった。故にこれだけ感覚が研ぎ澄まされているのだな。

いろいろなゲームや劇、音楽などが目白押しだった卒園パーティーは予想以上にスムーズに流れた。この幼稚園のお母さんたちは慣れっこになっているからだろう。数多くのイベントに携わってきた私から見ても、プロ並みだ。すぐにイベント屋を開業できそうだ。

ともあれ、私にとっては3月最大のイベントが無事終了し、ほっとしている。同時にすさまじい家の状態に頭が真っ白になってしまった。片付けようにもどこからはじめてよいのやら(私は片付けられない女です)。おかげで2年の楽しい幼稚園生活にピリオドを打つなどという感傷に浸る暇もなく、掃除洗濯に励みます。

卒園式は一週間後。親子ともども着るものを用意しなくては。

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2008年2月26日 (火)

卒園がもう目前に…

今月はとても忙しい日々が続いています。 先週の日曜日には毎年行われる田町の「リーブラ・フェスティバル」に参加してきました。今年は大所帯で、しかも初めて参加する人が多かったので、準備がちょっと大変でした。でも踊り自体は無事に終わり、しかもステージスタッフもプロの方だったので、とてもきれいに演出できたと思っています。また特記すべきは、今回の参加者におなかの大きな人がいたこと。しかも来月出産予定です。私も妊娠中に踊っていたけれど、最後に踊ったのは5ヶ月のときかな。最高記録(!)更新です。彼女は今度3人目の出産となるので、ベテランママさんです。だからゆとりがあったのだろうな。なるべく横を向かないようにしたので、おなかはまったく目立っていません。 写真はグループのブログの方に更新します。

フェスティバルの余韻を楽しむ暇もなく、次は影絵の公演の準備です。これは藤沢の子ども会からの依頼だったので告知はできませんでしたが、無事におととい終わりました。初回よりもずっと完成度が増し、流れもずいぶんスムーズになりました。本番前に楽器の練習もでき、音楽のほうも安定感があって、よかったです。

ここで一息したかったのだけれど、次の日(昨日)は卒園前のさよなら遠足でした。

Ca390435 大仏ハイキングコースをはいって、源氏山まで歩きました。風がすごーく冷たくて、歩いているときはよいのですが、立ち止まると体がぐんぐん冷えてきます。源氏山でゲームをしたり、これも最後となるお母さんが即興でお楽しみを考えるH幼稚園恒例(?)の遊びもしました。子どもはとても楽しかったみたいです。でも私は正直寒かったー。

そして今日からは卒園パーティーの準備が本格的に始まります。過去一ヶ月ほど、グループに分かれて作業はしていたのですが、今日は全体練習ということで、初めて一堂に会してパーティーの流れ、かかわる人々などを確認します。 あと10日ほどですが、毎日幼稚園にこもっての作業が続きそうです。幼稚園にはたくさんの梅ノ木があるのですが、だいぶ咲いてきました。夏が過ぎたら梅干や梅ジュースになる大切な梅ノ木です。今年もたくさん実がつくといいな。 Ca390448 Ca390449

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2008年1月27日 (日)

H幼稚園でのお餅つき!

今年もやってきました。餅つきの日です。去年は雪が舞う中で行ったので、「寒かった」という記憶しかない。今年も去年に負けず劣らずの寒さだが、多少なりとも太陽様が拝めるので、ちょっと暖かい気がする。

子どもたちにとっては楽しいイベントだが、大人は(特に先生やお父さん方)大変だ。幼稚園に着いたら、すでに火が起こしてあり、もち米も蒸篭の中で蒸されているし、けんちん汁用の寸胴鍋も準備完了。ありがたいことです。ちなみに寸胴が白くなっているのは、クレンザーを塗って、煤を落としやすくするためだそうです。もうひとつちなみにもち米は前日に園児が買いに行ったそうです。Ca390405 Ca390406

私の役目はつきあがったお餅をちぎり、黄な粉やあんこにまぶす作業だったので、早速はじめた。寒い中、暖かいお持ちを触るのはとても気持ちよく、ちぎるのもなかなか楽しい。つき方によってちぎりやすいお餅とくっついてしまうお餅があって(多分つき過ぎ?)面白かった。

この写真は今年加わった新しい臼です。新しいだけにまだ木に水分が残っており、重いそうです。Ca390408

さらに白いお餅だけではなく、クラスごとにいろいろな味のお餅を作りました。全部食べなかったけれど、「黒蜜甘納豆」と「サツマイモ、レーズン」がおいしかった。私たちのクラスのドライフルーツもとてもおいしかったです。

10時から始めて、1時過ぎに終了。時間にしては短いのだけれど、結構疲れました(胃も)。準備してくださった皆様に感謝です。最近ではなかなか体験できない餅つき、確かに続けていくのは大変だろうと思う。でも子どもたちは文句なしに楽しそうだった。

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2008年1月22日 (火)

白石康二郎さん、幼稚園に来る

毎日とても寒いですね。今日は幼稚園で海洋冒険家の白石康二郎さんの講演があった。白石さんは最近テレビやラジオなどの出演が多いので、ご存知の方も多いと思うけれど、単独世界一周ヨットレース「5OCEANS」で2位になられた方だ。そしてこれはご存じない方が多いと思うけれど、H幼稚園の卒園者なのです。だから公演の垂れ幕も「ようこそ」ではなく、「お帰りなさい」となっている。Ca390403

最近はいろんな場所で講演されることが多いらしいが、今日はホームペースということもあって、しかも子どもを持つ大人が対象ということもあって、子どもに伝えたいことの数々を熱く、熱く、語られました。

まず白石さんは、特に経済的に恵まれた家庭ではなく(でも愛情たっぷりに育った)、特に勉強ができたわけでもない。夢をかなえる過程での失敗は数え切れないが、挫折したことはない、とのこと。

白石さんのお話のなかで私の心に残ったことは、まずアイデンティティの大切さ、ということ。世界で活躍するためには言語能力よりも、その人がどれだけ強いアイデンティティを持っているかどうかにかかる。反対にアイデンティティ(理念や信念ということも含めて)を持たない人はどれだけ言語に長けていようとも尊敬されない。日本の文化、道徳の高さを学び、子どもに伝えることが重要。そしておのおののアイデンティティを背負い、互いのそれを尊重しあうところに、真の国際交流が生まれる。

海にいると自分と向き合う時間が長い。心を透明に研ぎ澄ませることによって、あるがままの情報を受け取ることができる。目に見えるものよりも、心を信じるほうが大事。頭で行動すると損得の計算を始めてしまう。

自分の天命は人を元気付けることだということがわかった。今の自分は植物にたとえると花をつけているところ。これからしばらくは修行を続け、その後は実をつける段階に入る。そうなったら、お返しの人生。人のために役立ちたい。

2時間もの間、熱く語ってくださいました。午後には子どもたちの前でもお話してくださったそうです。息子のKはとても楽しかったらしく、一日中上機嫌です。鯨はすごく大きいんだって、と感心して話していました。子どもたちにとっては漠然とだけれども、ものすごくロマンがある話だったようです。

これからも子どもに夢を与え続けてくださいね。Ca390400

Ca390402

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2007年12月27日 (木)

ご無沙汰していました。srimpi復活の兆し

なんと、気がついたら一ヵ月半のご無沙汰、しかも年の瀬が迫っています。

この一ヵ月半は私にとってかなりめまぐるしく、ブログの更新が完全におろそかになってしまいました。何人かの友人からは指摘を受けていながら、しかしゆっくり文章を書いて、写真をつけて、という作業を行う時間的精神的ゆとりがありませんでした。本当にごめんなさい。

さて、以前から書いていた影絵ですが、1219日に無事公演を終えました。まったくゼロから始めた割には、参加者も述べ30人くらいになり、多くの方々が人形制作、操作、その他の準備に協力してくださいました。結果予想をはるかに超える完成度の高い作品ができました。すでに公演依頼が入っており、再演の可能性も出てきました!ご協力してくださった皆様、そしてH幼稚園関係者の皆様、遅くなりましたが、本当にありがとうございました。

公演を終えて何をしているかというと、溜まっていた埃落とし(大掃除)に翻弄しています。影絵準備のために家のことがまったくできない状態がこちらもほぼ1ヶ月半。塵も溜まれば、というように、本当にサボったつけは大きいです。

そんななかクリスマスイブに少々掃除をサボって江ノ島水族館に行ってきました。さすがクリスマスイブということもあり、また江ノ島のライトアップ目当ての人も加わり、今までで一番の混雑でした。帰りがてら海岸に出てみると、なんとも美しい風景。住んだ空気に富士山がくっきりと浮かび上がっています。気分もすっきりとして帰りました。Ca390318_3 Ca390315

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2007年11月18日 (日)

年長親の複雑な心理

今週アンパンマンを見ながら息子のKが言った。「アンパンマン見ているって事、みんなに秘密にしているんだ」「へえー、なんで?」と聞くと、「だって、みんなにダサいっていわれるんだもん」

そうか、そろそろそんな年頃か。道理でアンパンマンのお弁当箱にお弁当入れないで、と頼むし、「ポケモンふりかけ」が売り切れていたので、「『アンパンマンふりかけ』にする?」と聞くと、ずいぶん長い間考えていたが、結局「いらない」といった。ふりかけをいらない、なんていうのは初めてのこと。

幼稚園の男の子を観察していると、年少と年中さんは同類だが、年長さんだけが違う生き物のように見える。急に成長するともいえるし、妙に大人びて、俗っぽくなるような気もする。特に夏休みの後、年長さんの中に、急にたくましくて大人びた子がちらほら見え始めたのにはびっくりした。

さて、うちのKはといえば…相変わらずマイペースで幼いです。お母さんたちからはかわいい、と人気が高いのですが、子ども同士で遊んでいるのを見ると、同年代の子どもの精神的成長に追いつけていないのがよく見えます。ちょっと心配でもあるし、純粋な面を失ってほしくない、という親のエゴが混ざり合って、複雑な心境です。

思い起こせば「いいとこ坊ちゃん風」のブランド洋服(親が抱くかわいい子供服のイメージ)を嫌がり始めたのが一年半くらい前、そして毎日自分で洋服を用意するようになったのが一年ほど前(いまどきのかっこいい系の服がお好みのよう)。テレビではやっているギャグや、「うざい、くそばばあ」などの大人が嫌がる言葉を使い始めたのが半年くらい前。大人への準備はどんどん進んでいる。

しかし冒頭のアンパンマンの会話の後「オレって、ダサいの?でもダサいってどういうこと?」と聞かれてコケた私でした。うーん、やっぱり大人への道はまだ長いぞ。気長に行こう。

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2007年11月16日 (金)

影絵準備で忙しい毎日

最近影絵の準備などで幼稚園にいる時間が多くなった。

園児が芋ほりに行って来て、たくさんの芋が玄関においてあります。12月に焼き芋をやる予定だそうです。

Ca390181

月曜日には親睦会があり、珍しくお母さんたちとランチを食べに行きました。年に数度しかないような気持ちのよい秋晴れで、海岸沿いのロケーションで海からの風がとても心地よかったです。日ごろのストレス(あまりないけれど)がどこかに飛んでいきました。Ca390230 Ca390232

肝心の影絵製作のほうはまたレポートします。

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2007年11月 7日 (水)

H幼稚園での影絵プロジェクト第3回ミーティング

10数名の参加を得て昨日行いました!初回のミーティングでは何をやるか私自身も当然ながらお母さんたちもまったくわかっていなかったのですが、今回はものすごい進展がありました。

まず、練習用のスクリーンを作りました。障子紙ぶら下げただけですが、これで作成中の影絵に光を通してみることができ、どこが足りないか、自分でチェックできるようになりました。いままで仕上がりどういう風になるかわからない状態で作ってきたのが、自分でイメージしながら影絵を作ることができます。

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その影絵製作ですが、H幼稚園のお母さんたちはもともと手作り、手仕事大好きなので、作業場は工房のようになっています。

Ca390178

作画も本格的になってきました。Ca390179 Ca390180

あとひとつ進展は、光源が決まったことです。いろいろな光で試行錯誤していましたが、ハロゲン電球がやはり一番よい、ということになりました。家の物置にあったスポットライトに配線を施しながら使っています。なにせぼろなので、公演当日まで持つか一抹の不安が残りますが…

これで作業の形が整ってきたかな、という気がします。まあとにかく楽天的な集団なのでどうにかなるでしょう。

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2007年11月 4日 (日)

藤沢、新林公園に行く

金曜日に幼稚園の行事で新林公園に行った。私にとっては久しぶり。

木々を眺めると、いつの間にか秋の色になっていた。まずはどんぐり拾いに興じた。子どもはもちろんのこと、大人もしばし時を忘れてたくさん拾った。Ca390153_3

それから広場に移って子どもたちが考えたゲームをやってすごす。少し肌寒い中、楽しく過ごしました。

この公園内には大きな木や立派な古民家もあります。Ca390156_2 Ca390157_4 Ca390165_2

私が観察していたどんぐりはといえば…落ちちゃいました…Ca390149_2 

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2007年10月31日 (水)

H幼稚園影絵プロジェクト第二回ミーティング

昨日第二回目のミーティングを行った。出席者は10人以上。お忙しい中に出席していただき、本当にありがとう。

まずは、前回からの宿題だった台本(私担当)が一応完成した。どうせやるならインドネシアのお話がよい、という意見があったので、インドネシアのワヤン演目のなかでも、一番哲学的といわれる「デウォ・ルチ」を元に作った。確かに難解な話なので、子どもバージョンでもかなり難解かもしれない。でも子どものレベル(大人が考えている子どものレベル=いわゆる子供だまし)に噛み砕いたものばかりを与えるだけでは何かが違う気がするし、第一それは大人の自己満足で終わっていたり、同時に子どもの感性や能力を馬鹿にするものだと思う。なのであえて、この演目を選んだ。

台本が出来上がったので、人形作りをはじめる。まずはインドネシアの影絵から作りやすい動物などの絵柄を選んで、カーボン紙で工作用紙に写して、早速カッターで切り始めた。H幼稚園ではこの手の仕事が大好きな人が多い。結構楽しく作業が進む。

今一番の問題は光源とスクリーンつくり。そもそも人形つくりも光源の強さとスクリーンの大きさが決まらないと進まない。なぜなら人形の大きさや細工の細かさは光の強さや質を考慮しなければならないからだ。だが光源はまだ試行錯誤の状態だ。

現在は50ワットのハロゲンランプを使っているが、あまりはっきりした影が得られない。ランプの側面と背後から光が漏れているので、黒い布で覆ってみた。するとかなり改善したので、みなでびっくり。まるで理科の実験だ。バンドアのような黒い覆いを作ってはどうか、という意見が出た。そしてもっと部屋が暗くなったら、はっきり見えるのではないか、という意見も。それには実際影絵を上演する部屋で試してみて、スクリーンと光源の位置と距離を決定することが必要かも。とにかくこれは試行錯誤あるのみです。私はインドネシアでかなりの量の影絵を見てきたつもりだが、テクニカルな側面はほとんど無知に近いことに改めて実感。しかし光って面白いものですね。同じ電球でも光が拡散したり、集中したりいろいろ性質が違うからいろんな用途もあるのでしょう。これといった結論は出なかったものの、みなでわいわい意見を出し合い、あれこれ試してみるのは楽しいです。座長の私の知識不足はちょっと問題(というより致命的)だけれどね。楽観的な集まりなので、どうにかなるかな、という気もします。

それからスクリーン。何年か前に影絵をやったお母さんがいて、そのときのスクリーンがあったので、枠だけを使って、障子紙を張ることにした。シーツだと繊維の織り目を通して光源が見える、とのことだったし、春に行ったワヤン・リストリックのワークショップでも障子紙を使っていたので。

当面の課題は光つくり、という結果になりました。もちろんその先には人形つくり、演技の練習等々が待っています。まだ一度も公演を行っていないのに、次回はどこでやろうか、なんて話が出ています(笑)。はい、かなり楽天的ですね、皆さん。

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2007年10月24日 (水)

H幼稚園での影絵プロジェクト始動

今年の2月にガムランとお母さんとのコラボ演奏会+舞踊劇をやったが、今年度になってからは、まだお母さんたちによる劇が行われていない。

私も気にはなっていたが、なにせ体調不良で、自分が率先して公演をやることは考えていなかった。もちろん私のほかにも演劇をやったことがある人、やりたい人がいるのだが、みな忙しそうで、ただ時間だけが過ぎていった。そんななか、もうすく年末なのに、何もやらないのは子どもたちがかわいそうだ、という意見が出て、結果、去年からいろんな方面から希望のあった影絵に着手することになってしまった。

体以上に脳みそがスランプに陥っている私だが、ようやっと重い腰を上げつつある。

幼稚園と話し合った結果、公演日時は12月19日(水)と決まった。これは2学期最後の日で、子どもたちによいプレゼントになるだろう。

先週の金曜日に初回ミーティングを開いた。

早速問題点が指摘された。 影絵に関しての知識や、どのような影絵を目指すのか(ストーリー、絵の作風など)についてあまり共有した情報がないため、ストーリー作り、影絵製作が難しい、ということ。

確かにそうだ。インドネシアでは影絵芝居「ワヤン」は一番人気のある伝統芸能だ。子供も見るし、それ以上に大人が楽しむことができる。そしていろいろな催し物の一環としてワヤンが上演される。テレビがなかったころはもちろん、現在でもとても人気のある芸能だ。

ところが日本では影絵というと子どものために、昔話をやったり、影遊びをやったりした記憶はみな持っているだろうが、万人に認知されたジャンルにはなっていない。しかもエンターテイメントがデジタル化するなかで、影絵は魅力を失いつつあるかもしれない。

したがって今回は初めてでもあるわけだし、完全オリジナル作品を作るのは時間的にも難しそうなので、インドネシアのワヤンをモデルとして物語を作っていくことになった。

次のミーティングは30日。それまでに私が台本を書くことになった(汗)。どんな作品ができるかな、少し脳が刺激されてきたような気がする。

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2007年9月20日 (木)

アタマジラミにご注意!そしてアジアの働く子どもたちへ

「アタマジラニにご注意!」という知らせが幼稚園から届いた。確かに最近はやっているらしい。私がアメリカに住んでいたときも、ちょうどはやり始め、学校では注意を喚起していた。

アタマジラミといえば、戦後の混乱期にはやってDDTを頭から撒いた、という話を子どものころ聞かされたが、私より若い世代の人にとっては???だろう。若い世代はシラミに対してネガティブなイメージを持っていないだろうが、同時に危機感にも欠けているようだ。そこが流行の原因のひとつかもしれない。

もちろんアジアの国々でもアタマジラミは過去のものではない。道端でお母さんが子供の髪をすいている姿をインドでも、ネパールでも、インドネシアでも日常的に見た。シラミがついた子どもの髪は赤茶けてくる。そして赤茶けた髪のイメージは私の中で、働く子どもたちと直接に結びつく。

アジアではなんと働く子どもたちが多いのだろうか。あのころはある意味感覚が麻痺していて、働く子どもたちの存在が当然のような気がしていた。もちろん彼らの名誉のためにいえば、彼らは往々にして大人に搾取されているが、彼らからあふれ出る雑草的強さ、生に向かう本能のゆるぎなさを目の当たりにすると、彼らが哀れみを受ける存在ではないことは明らかで、反対に自分がもやしのように情けない存在に思えてくる。

バックパッカー仲間でタイ人の仏教徒がいた。彼はいわゆるストリートチャイルドで、物心ついたときにはすでに道で暮らしていたらしい。その後キリスト教の施設に引き取られるものの再三逃げ出す。いわく「施設には自由がなかった」。彼はその後ドイツで働きながら世界中を旅し、途中出会った人に仏教の話をしていた。

そのタイ人の友人とある夕方カトマンズのゲストハウスの屋上で話をしていた。屋上からは掘っ立て小屋が見え、その掘っ立て小屋には7-8人の家族が住んでいた。かなり貧しい生活なのは明らかだ。夕方になると彼らは外に出てきて、屋上にいる私たちと身振り手振りで話をするのが日課だった。もちろん言葉は通じないので、おかしなジェスチャーで互いを笑わせるだけなのだが。おなかを抱えながらも私は急に悲しくなってしまった。なぜ善良な彼らが掘っ立て小屋に住んでいるのだろうか。そうすると友人は言った。「生ぬるい偽善的同情で彼らを侮辱するべきではない。彼らと、君とのどっちが幸福かと聞かれたら、僕はためらいなく、彼らのほうが幸せだと答えるね」と。私はびんたを張られたような衝撃を受けた。でもそのとおりだった。

もうひとつ忘れられない出来事がある。インドのデリーでのこと。物乞いの女の子が手を差し出してきた。彼女は歌うように、口上を繰り返した。日本で言うならば「右や左のだんな様…」という感じだろうか。私はそれを聞いてきて腹が立った。なぜならば彼女の年齢にそぐわない媚びた声音と演技だったからだ。彼女に下手な月並みのそして売春婦のような演技をさせている人に無償に腹が立った、そして彼女自身に対して腹が立った。私は拒んだ。彼女はあきらめずに演技を続けた。私はさらに腹が立ち、拒み続けた。すると彼女は私の腿を思い切りつねって逃げていった。

あの時正しいことをしたのだろうか、と今でも時々考える。アジアの子どもたちが一人でも多く学校に行けますように。

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2007年9月10日 (月)

防災週間

防災週間なので、幼稚園で緊急時のお迎え練習をした。10時半に地震がおきたと想定、その後公共交通機関のみを使って幼稚園まで何分でいくことができるか計った。

今世紀に入ってから、日本で起きたマグニチュード6以上の地震は6回あったそうだ。十勝、中越、福岡、宮城、能登半島、新潟中越沖地震。人間の記憶はあやふやで、しかも新しい情報が次々と入ると、人間は古い情報を捨て去る。でも被災した人々の苦労がそこで終わるわけではない。これらの地震の被災者は多大な苦労を強いられ、現在でも地震の影響から脱していない人も多いはずだ。

被災者の苦労は実際に被災した人にしかわからないだろう。想像力を働かせても自分が被災したときの状況をなかなか想像できない。

今日の練習でも、地震が起こったら本当に公共交通機関や自転車が使えるかは疑問だ。また、話によるとビルが密集しているエリアでは、ガラスが飛び散り、普通の靴で歩くことが不可能だという。徒歩で帰宅する練習が推奨されているが、もし普通の靴で歩けないのならばこれは不可能だ。

ここら辺ではガラスの被害はあまりないかもしれないが、東京の真ん中で(特に地下鉄の中で、そして子供と一緒に)被災することを考えると恐ろしい。話によると備蓄されている水や食糧は東京の住んでいる人をベースに計算されているので、必然的にすべての人に食料が渡るわけでではない。都会型の生活はすべてを電気に頼っているので、停電が起きればこの間もあったようにエレベーターに閉じ込められるのはもちろんのこと、通信から食べ物、トイレまでに支障をきたすことは想定できる。

こう考えるとなるべく早く都心を離れるのがよいのだろうが、本当に可能なのだろうか?ここら辺の情報をもっと流してくれると、心の中でシミュレーションもできるのだが。

ちなみに、地下鉄の中で閉じ込められたら、水に逆らって逃げなくてはならないそうです。よく考えれば当たり前なのだけれどね。

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2007年6月25日 (月)

一週間の出来事

なかなかブログを頻繁に更新できないので、このところの出来事をまとめてみました。

木曜日。

コンピューターがダウン。コンピューターが古くて、だましだまし使っている、ということもあるが、私が中身をこまめに整頓しないことも大きな理由のひとつだと反省している。かなり多くの写真(未整理)やいろいろなドキュメント、メール。ここでも私の「片付けられない女、捨てられない女」ぶりが遺憾なく発揮されている(!)。毎日のようにバックアップを取らなければ、と思いながら「明日やればいいや」と延ばし延ばしにしてきた結果、すべてのデータがまた失われた。

いろいろ差し支えはあるのだが、コンピューターが空っぽになってすっきりした。しかも今まで重かったのだろう。以前に比べて早くなった。私みたいな人間は思い切って、すべてを捨てる勇気を持たなければならないのだろう。

土曜日。

コンピューターが復活する。

夜は渋谷でワヤン(ジャワの影絵劇)を観る。というよりワヤンが大好きな5歳児Kのお付き合い。この日は本場さながらオールナイトでやったのだが、次の日にいろいろ予定が入っている私は終電で帰るために11時に渋谷を出発しなければならなかった。これに不服なKは泣いたり喚いたり、怒ったり。電車の中でも地団太踏んで周りの人に迷惑かけまくりました。みなさん、すみません。

日曜日。

午前から田町のリーブラに行き、そこで公演。演目はガンビョンパンクールだった。

その後5時に山手線を一駅移動し、浜松町のランバンサリスタジオでの練習演奏会。9時に終わり帰宅。

月曜日(今日)。

友人が藤沢遊行寺の「蔵まえギャラリー」でグループ展をしているので見に行った。「蔵まえギャラリー」は以前から行ってみたかった場所だ。もともとはお米屋さんの建物をギャラリーとして使用している場所だ。昭和初期の建築だそうだが、とてもしっかりした造りだ。多分かなり裕福なお米屋さんだったのだろう。名前どおりお蔵もあり。中は思ったより広い。どんどんイメージが膨らんでくるような場所だ。もともと店舗だった部分は音楽会にちょうどよい空間で、天井が高いので、音響がよさそうだ。ぜひぜひ何か企画したい、とお願いして帰りました。

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その後幼稚園にお迎えに行くと、なにやらお母さんたちがビニール袋片手になにやら拾っている。ヤマモモがそれこそ山のように落ちている。私も仲間に入り、たくさん拾って帰ってきた。砂糖をかけて煮るとおいしい、と聞いたので、そのとおりやってみてコンポートを作った。Ts340986

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2007年6月21日 (木)

園庭に咲いたTシャツの花

今日幼稚園にお迎えに行くと、園庭は楽しいTシャツ工房になっていた。これは年長にあたる園児たちのお泊りで使うもの。一人一人思うがままに、絵を描いた。

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真夏のような太陽の下にはためく作品の数々。とってもカラフルです。Ts340975 Ts340976

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2007年5月 7日 (月)

蔓延する人間関係おんち(その2)

ある時いつもは仲のよい二人の男の子が喧嘩を始めた。それは取っ組み合いに発展し、さすがに先生が二人を引き離した。次の日、また同じ二人の子どもが喧嘩を始めた。今度も取っ組み合いの喧嘩に発展した。ただ、この日は気が済むまで(解決するまで)やったようだ。その後は何もなかったようにまた二人で遊んでいる姿を目撃した。

この喧嘩を見ていて子どもの問題解決能力を信じて、時にはぶつかりあって解決する、ということも人間力を培う大切な機会ではないかな、と思った。大人が引き離すことによって、問題は解決しなかったどころか、多少わだかまりが残ってしまったようだ。「不完全燃焼」を起こし続けることによって、自分で問題を解決する、という能力や意欲が薄れるのではないか。とにかく子ども時代には、軋轢が起きようが、時にはぶつかり合おうが、たくさんの人と接して人間力を養い、勉強はできなくとも人間関係おんちにはなってもらいたい、と切に願っている。

とはいっても今悩んでいる大人たちはどうしたらよいのだろうか。私にもわからないけれど、ここでも自己確立という言葉がキーワードになるような気がする。そして平常心も。

なので最近では「踊らず、踊らせず、踊らされず」を肝に銘じている(踊る身でありながら実に皮肉だが)。要はちょっとほめられたくらいで舞い上がらず、他人にお世辞やおべっかを言わず、人と良い距離感を保ち、平常心を持つ、ということ。まー、これも「言うは易し」なのだけど。

今は子どもを観察して、勉強しようと思っている。

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2007年5月 6日 (日)

蔓延する人間関係おんち

最近人間関係で悩むことが多かった。これは私だけではなく、結構みなの悩みの種だ。人と人との関係だから自分が引き起こしている問題もあるだろうが、理解の域を超える「勘違い人間」も多いことは事実だ。

人のことを過剰に気にやむ人も、反対に、まったく想像力が欠如していて、他人のことなど意に介さない人も、両方とも人間力の欠如といえるかもしれない。

インドネシアにいたときは、人間関係の密度が日本に比べてとても濃いので、当然楽しいこともあれば軋轢も起こる。そのようなときに、インドネシア人の知恵というか人間力を垣間見ることとなった。このような力や知恵はやはり場数を踏んで築き上げてきたものだと思う。だから近所に「困ったさん」がいたり、自分が不当な非難を受けたとしてもいちいち気にやんだり傷つくことなく、感情的になることもなく対処していけるのだろう。

日本では人間関係が希薄で、「場数」も踏んでいないので、人間関係に人々は悩み、眠れぬ夜をすごし、被害妄想に陥ったり、怒ったり、自信をなくしたりするのだろう。

子どもが幼稚園に入って以来、大勢の子どもを観察する機会がぐっと増えたのだが、それを通して実感したのは、私たち大人より彼らのほうが人間ができている、ということだ。学ぶのはわれわれのほうだ。

もしかしたらH幼稚園は縦割りだし、大人があまり介入せずに自分たちの関係を築くような配慮がされているので、特別なのかもしれない。ただ、彼らを観察している限り、ちょっと乱暴なことや迷惑をかける子どもがいても、子どもたちは難なく、軽く対処している。それもその子どもに対して効果的方法で、時には「やめろよ」という一言だったり、「いまこれやっているからちょっと待って」だったり、またはほかの子どもが仲裁したり、実に多種多様な対処方法をとって、ほとんどの場合自分たちで解決している。

(続く)

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2007年4月 8日 (日)

自由教育の幼稚園って?その2

私は何も考えずに自由な幼稚園を選んだのだが、実際通い始めてひとつ気になることがあった。それは無駄な時間が多い、ということだ。散歩に出発するときにも時間がかかる。何かの行事のときも子供たちは「あーだ、こーだ」と議論してすぐに始まらなかったり、なかなか進まないことがある。子供たちが自分たちで考え作ったものを発表するときも、必ずといってよいほど混沌が支配する時間がある。

最初はこれに苛立った。こういうところは軍隊式にすればよいのに、と思った。でもしばらくするとまったく見方が変わった。そもそもすべてのものは(宇宙も)混沌のなかから生まれてくるのではないか。だから何かが生まれるにはカオスが必要だ。子どもはカオスの中から秩序を生み出していけばよいのではないか、と思うようになった。

「宇宙の原理」などというと大げさかもしれないが、実際カオスの中から何か形ができるプロセスをつぶさに見るのは実に面白いし、年齢とともに作品の完成度が高まっていくのはなかなか感動的だ。私も子どもたちの作品を見てインスピレーションが沸いてくる。なにせアイディアの宝庫なのだから。

大人はカオスを嫌い、秩序を好む。だがその秩序もカオスの上に立っていることを忘れがちだ。だからカオスが支配する時間を「無駄」だと考える。でもこの一見「無駄」な時間が子どもにとって必要なのではないかな(多分大人にとっても必要なはず)。

あるお母さんはH幼稚園を「振り付けのない踊り」と称した。いいたとえだな。中身が空っぽな箱物じゃなくて、一から自分で道筋を作っていく、これって今の日本社会が抱える課題と同じではないかな、と思う。

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2007年4月 6日 (金)

自由教育の幼稚園って?

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今日から幼稚園が始まった。去年はな組だったKはかぜ組になった。以前も書いたとおり、H幼稚園は縦割りのクラスだ。その中で一番年上になれてKは俄然がんばっている。

さて、「自由教育の幼稚園ってどう?」とよく聞かれる。幼稚園のときは楽しそうだけれど、小学校に入るとギャップが大きくて大変、とも言われる。私も他の幼稚園に子供を預けたことがないし、感覚的に自由教育の幼稚園にしか興味はなかったので、あまり客観的に見たり比較することができないが、一年間通ってみての感想をつづってみたいと思う。

H幼稚園は方針としても、実際の生活もかなり子供の自主性にまかされている。とはいえ、基本全員参加のプロジェクト、イベントが数多くある。思い返せば餅つき、子供が考える行事、焚き火、芋ほり、草木染、最近では卒園パーティーなど。

だが特にそのような予定がないときは、朝と帰る前にクラスで集まって挨拶をしたり、本を読んだり、歌を歌ったりするほかは、かなり自由な時間をすごしているようだ。一日中黙々と工作や縫い物やものづくりしている子ども。しばらく集中して何かをやっていると思ったら、急に走り出したりふざけだしたりする子ども(どちらかというと男の子が多い)。お花や植物ばかり集めている子。一心に砂に水を流している子。一人で遊ぶ子。仲間で遊ぶ子。良くも悪くもその子の特徴が顕著に見える。そしてその集中力には敬服する。「個性」という言葉を使ったらありきたりで真実味がないけれど、本当に一人一人違う個性を授かって生まれてきたんだな、とつぶさにそして理屈なしに感じる。そうすると自分の子どもだけではなく、どの子どももユニークで面白い存在となるから不思議なものだ。それはほかのお母さんも同じで「今日はKがこんなことをしていたよ」とか「Kは○○だよね」などといわれることがあり、自分の子どもの新たな面を発見するきっかけとなる。

最近教育に関するアメリカ発の文章や論文にメタコグニションという言葉が頻繁に使われていることに気づき、小学校の先生をしているアメリカ人の友人に聞いてみた。彼女いわく、自分の性格や傾向性を知ることによって、押し付けの学びのプロセスではなく、自分で自分の学びのプロセスを作ったり選択したり、自らを導くことができる能力だということだ。私の理解が間違っていなかったら、等身大ではなく、一段階上から自分を客観的に見る能力のことだと思う。アメリカではこの能力の重要性が叫ばれている、という。

自由教育のよいところは個性を存分に発散させることによって、周囲の人(そして自分自身)がよき理解者になり、その子どもの性質(長所も短所もひっくるめて)を十分踏まえて指導できることだと思う。(続く)

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2007年3月16日 (金)

卒園式

今日はH幼稚園の卒園式。うちは来年だからまだなんですけれど。ちなみに先日報告したのは卒園する子どものお母さんが主催する卒園パーティーで今日は園主催の卒園式でした。

今日の私の役目はビデオ係。数日前に頼まれたとき、「私はビデオ撮るのがすごくうまいです」と恥ずかしげもなく豪語した手前失敗できないので、去年の式のビデオを見て勉強(?)することにした。簡単に流して見ようと思ったのだけど、これが結構面白くて、全部見ちゃいました。そしたらもう夜中だったので、勉強も早々に切り上げ寝てしまった。

寝ながらよく考えたら、3年くらいビデオを撮ったことがないことに気づいた(どちらかというと撮られるほうが多いかも)。昔は踊りや演劇のビデオよく撮ったものだな。もっともっとやりたいことのひとつです。

さて、今朝幼稚園の会場に行ってみると、ラッキーなことに部屋の隅には机が積み上げてあり、カメラを設置するには最高のポジション。部屋全体が撮れたのでラッキー。そっちはつけっぱなしにして、もう一台で動きながら撮った。ちゃんと撮れていることを祈るばかり。

そんなこんなで写真はまったく撮れませんでした。H幼稚園は入園式のときはとてもカジュアルなのだけれど、卒園式は皆正装している。同じ格好で入学式を迎える、とのこと。お母さんたちも素敵なドレスや着物の人が多く、私も来年は着物にしよう、と心に誓った。卒園式の様子はきっと園のホームページで公開されるでしょう。興味のある方はそちらのほうでどうぞ。アドレスは以前に公開したのを使ってね。

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2007年3月11日 (日)

オヤジ化する女たち

って、本のタイトルではありません。が…

おとといは卒園パーティーだった。H幼稚園の卒園パーティーは、卒園する子どもの親が企画制作する。うちは来年卒園なので、今年は傍観者だったが、その準備に費やす時間と労力は相当なものだ。

さて、とうとう当日になり、私は楽しみにしていった。いつものように手作りの企画でいっぱい。そしていつものようにお母さんたちも大変身していた。

先日のガムラン公演でアンクルンを弾いてくれたSさんはロボットになっていた。

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一番ショックだったのはこれまたガムランの企画でほとんど妖艶ともいえる姿に変身してくれたS俣さんが完全にオヤジになっていたこと。

そのほかのお母さんたちも…オヤジ。しかもよく似合う。しかも完全にオヤジになりきっている。歌を歌っているときに、S俣さんは「あーソレソレ」と合いの手をいれている。あのー、「世界でひとつだけの花」とか結構おしゃれな歌が多かったんですけれど…2日経っても目と耳から消えないオヤジの姿。強烈過ぎます。_414 本当はサンバを踊ったきれいなお母さんとかもいたのだけれど、なにせこちらの方が強烈で…

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さて、パーティーに戻って、恒例の保育者(先生)の劇が楽しかった。寿退社(園?)される保育者がいるのですが、そのことを劇仕立てで見せてくれた。その保育者がウェディングドレスを一足早く着て、素敵な演出だった。子どもにもわかりやすかったんじゃないかな。

昨日はいろいろまとめて打ち上げをやった。一応ガムランの打ち上げもかねていたんだけれど、前日の卒園パーティーの話で盛り上がった。場所は由比ガ浜の小さな無国籍風創作レストラン。一度入ってみたい、と思っていたのだけれど機会がなくて、と幼稚園のお母さんRさんに言ったら、「私そこでバイトしてたよ」ということで、今回ここで打ち上げをやることになった。野菜料理が多くて、とてもおいしかったです。グルメリポーターの素質がまったくない私なので、こちらのサイトを見てください。写真はカリカリのベーグルの上に目玉焼き、トマトベースのソース、そして一見アボカドにみえる枝豆ソースを乗せたオープンサンドです。

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2007年2月28日 (水)

おばあちゃんのお弁当

最近よく聞くことだが、いじめの原因のひとつにお弁当があげられるという。おかずがいっぱいで、色とりどりのお弁当でないと、いじめの対象となるというのだ。つまりご飯の量が多く、おかずが煮物だったり、煮魚だったり、漬物だったりするお弁当(茶色弁当、またはおばあちゃんのお弁当)だと「汚い」「貧乏」と馬鹿にされる、そしてそれがいじめの原因にさえもなる、というのだ。

いわゆる「食育」は幼稚園でもよく話し合われるトピックだ。何ヶ月かまえに、幼稚園でお弁当の話をしたことがあった。園長が食育に関する講習会に出て、その内容を話されたのだ。それは「おばあちゃんのお弁当」の価値を再確認する、というものだ。つまりご飯が7割、おかずはちょっと。それも煮物など彩に欠けるものばかり。ちょっと記憶が定かでないところがあるが、おばあちゃんのお弁当を作る理由としては:

1.ご飯たっぷりで、おなかがへらない。おやつに頼らない。

2.お弁当作りに時間をかけない。前日作ったおかずを利用する。

3.和食を基本に作ることができる。

4.お弁当作りにあまり気合が入りすぎると、子供にプレッシャーがかかるものだ

等々。

その後幼稚園のお母さんに「粗食のすすめ」を書かれた幕内秀夫氏の子どもべんとう じょうぶな子どもをつくる基本食」を見せてもらった。根本的に同じ考えだ(こちらはご飯8割)。

きれいなお弁当を作る人はこだわりがあるのだからよいとして、「おばあちゃんのお弁当」にも市民権を与えなくてはならない。Kの幼稚園では、まだ子供も小さいし、「おばあちゃんのお弁当」でもなんともいわれない。親も「きれいなお弁当を作らなければ」というプレッシャーは誰も感じていないようだ。

どうにか「おばあちゃんのお弁当」運動が広まればよいと思う。しかしたかがお弁当でいじめ問題に発展する。心の貧しさのほうが、お弁当の貧しさよりも危惧しなければならない問題じゃないかな。

あっ、ちなみにもちろんうちは「おばあちゃん弁当」です!でも「食育」なんて、立派な理由ではなくて、ただ単に料理の腕がないもんで…

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2007年2月27日 (火)

幼稚園での講演会

昨日幼稚園で講演会があった。演題は「気持ちが通い合うとは」というもの。講師の滝坂信一先生は、大学の講師をしたり、障害者教育にかかわったり、乗馬療法(って言うのかな)も実践されている方。この多彩な経歴ゆえ、本日の演題がどのようになるのかまったくわからない。お母さんたちも興味津々。

まず、滝坂先生の柔らかな表情と語り口に、経歴を見て抱いていた「お堅い」イメージがいっぺんに溶け去った。

そして最初にやってくださいといわれたことは、2人一組に向かい合って座り、右膝をくっつけ合い、互いの右手を合わせ、目をつぶり手で押し合う、というもの。皆何がなんだかわからず、ちょっと緊張しながらやってみる。最初はちょっと気恥ずかしい。それでもまだ毎日のように顔をあわせている仲間だからよいものの、知らない人とだったら絶対やだな、など考えながらやってみる。

次に相手を変えてもう一度同じことをやってみる。相手が違うと手の感触も違うし、押したり引いたりすぐタイミングも違う。でも2人目ということもあり、ちょっと心地よさも感じる。

2回目が終わり、皆で意見を出し合う。「手が暖かかった」「最初は緊張した」「最初に押してよいのか、引いたほうがよいのか、躊躇した」「自分がイニシアティブをとる場合とそうでない場合があった」「手を合わせてみて、自分が抱いていた相手の印象と違う感じを受けた」等々。

この後滝坂先生のお話があったのだが、「手合わせ」を体験したことで、和気藹々とした雰囲気が広がり、完全に緊張が解けた気がする。

さて、お話の内容だが、この「手合わせ」を体験することによってわかるように、人間というものは他人の気持ちを推し量ったり、コミュニケーションを取れる能力をだれでも持っている。そしてコミュニケーションの基本は体の接触によるもので、これは子供が胎児のころから培われてきたものだ。スキンシップの重要性の根拠はここに見られる。

言葉以前に培われたコミュニケーション能力なので、言葉と体が矛盾していると、子供に相反するメッセージを送ることになり、それが子供の不安をあおることとなる。つまりただ抱っこしたりハグすればすべてが解決するわけではない、ということだ。

ここでからはお母さんたちの質問を交えて、実践的なアドバイスが始まる。心穏やかでないときに子供がまとわりついてきたり、スキンシップを求めるときはどうすればよいか、という質問に対して、2-3歳にもなれば言葉で補足をすれば理解できる。つまり「お母さんはちょっと疲れたから、今は休ませてね」とか、反対に「お母さん疲れているから、パワーくれるかな」などと自分の状況を説明して理解してもらう。それによって、子供も自分の行為によってお母さんを元気付けることができる、ということがわかる。

そして話は介護に。介護という行為にも「抱く」ことは不可欠だ。滝坂先生も親の介護をしてみて、親との関係がまったく変わった、とおっしゃった。「皆さんもご両親を抱いてみてください」という言葉に「えー、無理」という声も上がる(私もその一人)。

日本の文化においては体が触れ合うということを極端に嫌う傾向がある。特に男性は。介護の問題になったときに、いやでも他人に自分の体を預けなければならない。体の接触を嫌ったり、自分の体を他人に見せることを嫌がったりすることは、介護をされる上で苦痛だし、屈辱的なことだろう。

最近では抱っこ療法もあるので、ずいぶん意識が変わってきているとは思うが。文化の問題としても考えたほうがよいのかな。とにかく楽しく、気持ちが暖かくなる 講演会だった。

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2007年2月25日 (日)

写真アップしました!

先日の幼稚園での公演写真が幼稚園のホームページにアップされています。

http://www.hasekko.com/archives/000434.html

またリーブラでの公演写真をサンガール・パムンカスのブログにアップしました。

http://sanggarpamungkas.blog60.fc2.com/

ご覧ください!

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2007年2月15日 (木)

初ふきのとう、そして観音様の神々しいお姿

これは二日前の写真なのだけど、幼稚園の公演のために水仙を切ろうと思い、庭に出たら、あれ、ふきのとうを発見。よく見るともう大きすぎて食べれないものまで多数。ふきのとう大好きな私は、ひと時水仙も公演も忘れ、ふきのとうを探しました。その結果がこれ。お味噌汁の具にして食べました。Good!

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そしてふきのとう味噌のレシピを踊りの生徒さんから聞きました。ふきのとうを灰汁だしせずにごま油で炒め、味噌、砂糖を入れ加熱し、冷ましてから卵の黄身を入れる、というもの。卵の黄身を入れるとマイルドで滑らかになるそう。ただし長持ちしないので、注意いしなければならない、とのことでした。お試しあれ。私もぜひぜひ試したいのだが、ふきのとうが残っているかどうか、ちょっと微妙。

そして次の写真は先日の公演から。観音様です(バックグラウンドのバケツが残念!)。写真ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、金ぴかでリアルでした。O西さん、写真掲載許可ありがとう。準備中はYンケル(栄養ドリンク)をぐびぐび飲んで、鼻息荒かったのに、舞台上では ずっと立っていたのにもかかわらず微動だにせず、観音様になりきっていたのがすごかったです。

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2007年2月14日 (水)

H幼稚園でのガムランプロジェクト(無事に終わりました編)

お疲れ様です。昨日無事に終わりました!早速更新してご報告を、と思ったのですが、さすがに昨日の午後は疲れがどっと出て…

前日の午後にやっとタイトルが決定「ペトルッとバゴンの旅~ランランガムランアイランド」発案者のCさんありがとうございます。

当日はあわただしくなるだろうと思い、幼稚園が始まる9時より1時間早い8時に行った。皆が来る前に自分の髪の毛とメークを少しでも進めておこうと思ったからだ。それでメークが非常に上手なRさんと8時ちょっとすぎに到着したら、もうTさんが来ていて、床のお掃除をしてくれていた。あー、ありがたいな。

自分の髪をやる予定だったのだが、なんやかんや用事をしているうちに、Cさんが来て、会場の確認に行った。ここの幼稚園のスタッフは本当に協力的な人たちばっかりで、部屋から不必要なものを出しておいてくれた。

そうこうしているうちに9時を回り、みな到着する。出演者は16人。準備は時間との戦いだ。その後の細かい記憶はない。ランバンサリのHちゃんに10時に来てもらい、お母さんたちの着付けを手伝ってもらう。そして楽器を載せた車が到着し、その後すぐにランバンサリのメンバーが来た。そして楽器の搬入(子どもたちに見つからないよう、お弁当の時間を早めてもらった)と会場作り。あれよあれよという間にスタンバイの時間になる。

そして本番、ぶっつけ本番だったにもかかわらず、すべてが滞りなく進む。そしてあっという間に終了。私も出演者の一人ということもあり舞台から見ることができなかったので、どんな感じだったかはまったくわからない。でも見に来てくれた人たちからは好評でした!

出演したお母さんたちからは「一度だけではもったいない」、「次回はガムランに触れてみたい」などという意見が。

昨日唯一取れた写真は、楽器搬入直後の会場。楽器のお供え物にするからお花と果物を持ってきてください、とお母さんたちにお願いしたら、もって来てくれただけではなく、こんなすばらしいお供え物が出来上がっていた。これにはランバンサリの人々もびっくり。私も昨日はすべてがうれしかったけれど、このお供え物には感激しました。Ts340538 Ts340540

ほとんどの園児がはじめて聞くガムランの音。どんな風に響いたかなー。

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2007年2月12日 (月)

H幼稚園でのガムラン・プロジェクト(とうとう明日本番!)

最近ブログの更新頻度が落ちているが、このところこのコラボプロジェクトの練習と準備で忙しかった。金曜日には最初で最後で唯一しかし不完全な通し稽古を行った。時間を計ってみるとちょうど30分。幸先よい感じ。しかも髪とメークをしてみたので、インドネシア人になりきりやすい、という意見がでた。演劇をやっているお母さんに道化役のメーク係になってもらったが、イメージどおりに仕上がってうれしい。観音様のメークは顔を金色にして、なかなかリアル。

この幼稚園のお母さんたちは劇や踊りに出演することには慣れている。でも今回はインドネシアの音楽と動き、そして衣装ということもあって、なかなかイメージがつかみにくかったと思う。ぎりぎりになって、あー、なるほどね、という声が聞こえ始めた。

話は前後するが、前半は園児たちにガムランの音を聞いてもらい、後半は劇仕立てになっている。前半の歌のほうだが、こちらはかなり完成度が高くなった。アンクルンの音もとても心地よいし、声も出るようになった。

後半のストーリーだが、お寺の小僧さんがなれない生活の中で落ち込んでいるときに、観音様(慈母観音という設定)の像を見て、お母さんを思い出す。ガムランの音がなると不思議なことに観音様が動き出して、踊る。そして仏像がいつの間にかお母さんに入れ替わり、ほかのお母さんたちにも参加してもらい、ボンダンという赤ちゃんを抱っこしたりあやしたりする踊りを踊る、というもの。この踊りが難しかったようだ。私もそれを心配してドロップアウトOKにしてあったにもかかわらず、だれもギブアップしない。結構子沢山の人もいるのに、根性あるなあー。

衣装のほうは多少縫わなければならないものもあって、ちょっとしんどく思っていたのだが、作りかけのものを金曜日に幼稚園に持っていったら、手の空いた人がちくちく縫ってくれ、帰るときには仕上がっていたのでうれしいびっくり。ピーターラビットのお話に「グロースターの仕立て屋」というのがあるが(病気で倒れてしまった仕立て屋さんの代わりに、ねずみが洋服を仕立ててくれた、というお話)、その仕立て屋さんになったような気分。縫い仕事にちょっと気がめいっていたので、本当にありがたかった。

後は細かい作業が多少残っているし、午後にランバンサリに行って、最後の練習。

あっ、そうだ、後ひとつ大切なことをやり残していた。それはタイトルを決めること。暫定的に「不思議な楽器がやってくるよ」にしたのだが、きっとぴったりのタイトルが見つかるだろう、と思っていた。でもそこまで考えるゆとりがなく、今日まで来てしまった。これは明日までの宿題。

怒涛の1ヶ月だったけれど、今晩は成功を祈って寝ようと思います。

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2007年2月 1日 (木)

幼稚園での講演会

日にちは前後してしまうが、幼稚園で講演会が行われた。例年絵本作家の先生を招いてお話を聞くのだが、今回は絵本作家の編集者として活躍されている後路好章さんをお招きした。編集長って結構大変な仕事ではないか、と考えていたが、お話をお聞きして、大変なのは大変なのだが、その大変さが私の考えていたものとまったく違っていることがわかった。

後路さんは、あるとき擬音語擬態語の面白さに目覚め、擬音語擬態語を使った絵本を作ろうと努力する。そのきっかけが谷川俊太郎の「もこもこもこ」だ。しかし当初後路さんは、この本の魅力に気づかなかったという。しかしこの本が子供の間で人気があるということを聞き、そして誰かに読んでもらったときの面白さをつぶさに感じ擬音語擬態語の可能性を探ろうとする。しかしそこからが大変。保育園に行って子どもをつぶさに観察する。そして子どもと同じ目線で見、考える努力をする。擬音語、擬態語はもちろんのこと、発達心理学や言語学も学ばれる。とにかく徹底している。

そして本作りも妥協を許さない。作家の方々とも納得ができるものができるまでとことんやり合い「厳しい編集者」というレッテルを貼られる。

そんな努力の賜物がアリス館から出版されている「ことばであそぼ」シリーズだ。

お話を聞いていて、これだけの努力と思いがこもって一冊の絵本が出てくるのだから、もっと読むほうもその思いを受け止めなければな、と思った。

その思いがこもった本をKに読んでみた。擬音語、擬態語のみでストーリーができている「ぷちぷち(ことばであそぼ3)」だ。あまりいろんな種類の本を読みたがらないKだが、大うけ。最初は聞いていたが、2回目から自分で擬音語を作って参加するようになった。ことばの音楽遊び、という感じだ。なるほどこれは面白いわけだ!と私も納得しました。

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2007年1月31日 (水)

ガムランプロジェクト(経過報告その2)

H幼稚園は超多忙。いろいろなことが起こっている今日この頃です。その中に埋もれてなかなか練習が進まない状態です。

さて、今週の日曜日にもう一袋(?)アンクルンを借りてきた。これで全部の音がそろったので、音別に色分けした。本当はいろいろリズム遊びをしたかったのだが、なにせ練習時間が足りない。みなはアンクルンを弾くのが楽しいようなので、アンクルンを和音で入れることにする。音はさわやかで、とても素敵な響きがする。厄介なのが「川で歌おう」の歌詞。3番まであるのだが、これがなかなか覚えられない。私も実は覚えていない。そのせいだと思うが歌声がはっきり伝わってこない。これは改善しなくては。

さて、踊りの練習のほうだが、こちらもなかなか時間を取れない状態。といっていても始まらないので、集まれるときに少人数でも、短時間でも練習しよう、ということになった。踊り手は8人。歌とアンクルンに加わる人は9人の予定。

もうひとつ大変なことは当日の着付けとメーク。インドネシアの衣装は上がぴたっとしたレースのブラウス。下はバティックの一枚布。みな初めてなので、イメージがつかめないみたい。当然だけど。それでしょうがないので、絵をかけない私が絵をかいてプリントにして配った。幼稚園からのお知らせもほとんど手書きなのだが、だんだんそれがうつってきた。息子のKに「ママって絵が下手だね」といわれたけど、そんなことにめげているゆとりはないのだ。

衣装は基本的に私の持ち物を貸し出すことになった。インドネシアのブラウス(クバヤと呼ばれる)はすべてオーダーメードでほとんどが私のサイズで作ってある。何着かお母さんたちに着てもらったが、ラッキーなことにサイズの問題はなさそう。下は一枚布なので、最初から問題はない。10人以上の着付けなので、私一人ではどうにもならない。どうにか事前に講習をしなければならないが、とにかくやることが山積みで間に合うかどうか。

メークについても、H幼稚園のお母さんたちは普段あまり化粧をしていない(私もすっっぴんに近い状態だが)。そんな彼女らにステージメークを施すのは大変。日本はナチュラルメークが主流だが、インドネシアのメークは厚い、色が濃い、派手。日本が引き算のメークだとすると、インドネシアは足し算のメークだ。なれない人にはかなりの違和感があるだろう。

そんな中順調に進んでいるのが、道化2人の台本の読み合わせ。まだ完全にせりふは覚えていないが、とてもよい感じに仕上がっている。この二人が骨格を作るわけだから、これだけしっかりとできていれば安心です。

問題山積だが、よく考えれば何かをゼロから始めるときっていつもこんな感じかな。私は昔から舞台のことを考えるのが好きで、考え始めると次々とアイディアが浮かんできて、夜も眠れなくなる。もちろん浮かんだアイディアで実現までこぎつけるのは5%くらい。でもその5%を最大限に広げるのが腕の見せ所なのではないかな。

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2007年1月20日 (土)

お餅つき――寒かった、でもおいしかった

今日は幼稚園で餅つき。子どもは結構楽しみにしている。が、朝準備をしているとひらひらと雪が降ってきた。子どもは喜んでいるけれど、私は寒いのが大の苦手、長い一日どうやって乗り切ろう。

幼稚園に行くと、もう庭で火の準備と蒸篭の準備が終わっている。あー、朝早くから先生たちは来て準備しているのだな。おかげさまですぐに餅つきを始められる。まずはお父さんたちのパフォーマンスがあり、次はクラスとごとに分かれて、それぞれお餅をつく。1回目は白いお餅で2回目は変わり餅を作る。これはクラスごとに事前に決めてあった具を入れる。私たちのクラスはたらこふりかけと青海苔だった。ほかのクラスは高菜とシラスや抹茶黒糖、などいろいろ。

お母さんの口には入りにくい、ということで覚悟していったが、思った以上に食べられた。その後クラスに分かれて、納豆、黄な粉、大根、しょうゆ、あん、などのまぶしたお餅と、持ち寄った野菜で作ったけんちん汁を食べる。本当は外で食べる予定だったのだが、結構雨が降っていたので、急遽予定変更で、中で食べる。あいにくの雨でほとんど写真が撮れなかった。

そして片づけをして終わり。生もちは胃にもたれる、というが、さすがに胃が重い。でもうちの子にとって餅つきは過去に一度しか体験したことがなかったので、楽しかったのではないか。昔なら、家庭で、地域でこのような行事が行われていたのだが、これも家庭と地域社会の崩壊の象徴かもしれない。

学校や幼稚園でこのような行事を行わなければ、餅つきも、焚き火も、焼き芋も知らない子どもたちが増えていくだろう。学校が家庭と地域社会の役割を担わざるを得ない状況になってきていることは紛れもない事実だ。同時に学校や幼稚園の負担が大きくなってきている。先生たちの責任はもっとさらに重くなりつつあるように感じる。_301

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2007年1月15日 (月)

H幼稚園でのガムランプロジェクト(途中経過)

土曜日にランバンサリに行き、代表のKさんと話をする。

まずはこちらの希望を伝える。できれば楽器を運び入れたり、リハをするところを子どもたちに見せたくない。だからリハなしぶっつけ本番で行きたい、そして演奏するランバンサリのメンバーもみなインドネシア人で(本当はみな日本人です)インドネシアから到着したばかり、という設定にしたい、ということを伝える。

そして演目と参加する人の確認。一曲目はラドラン・ウィルジェン、という演目。これは演奏会やお祝い事の一番初めに演奏される曲で、人々の幸福を祈り、会やイベントが滞りなく行われることを祈願する曲でもある。

2曲目は「ラササヤン(川で歌おう)」。これは先日紹介した。お母さんたちの意見として、ガムランで演奏した録音テープがあれば、参考になる、ということでKさんにテープに落としてもらった。次回の練習のときに使おうと思う。そしてランバンサリにいったのはもうひとつの目的があった。いろいろな楽器を集めているMさんに、アンクルンという楽器を借りるためだ。この楽器を「ラササヤン(川で歌おう)」のなかで使おうと思っている。

アンクルンとは竹を揺らして音を出す楽器で、形は写真のとおり。まっすぐにもって、楽器を揺らすと音が出る仕組み。音程を調整できないので、ひとつの楽器はひとつのピッチしか出すことができない。したがって必要な音の数だけ楽器が必要となる。たとえば一オクターブだと8個。つまりハンドベルとまったく同じ仕組みだ。これがなかなかやっかいで、土曜日にスタジオに着くと、スタジオがアンクルンだらけになっていた。というのもガムランの音に合ったアンクルンを使わなければならないので、Mさんは持っているアンクルンをすべてスタジオに持ってきて、ガムランの音と合うものを選別してくださったのだ。おかげで私はすでに選別されたものを持って帰るのみ。いいとこ取りをしてしまった。Mさん、大変だっただろうな。ありがとうございます。

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決定しなければならない事項がいくつかあった。特に当日のタイムスケジュールと楽器運びの段取り。それからランバンサリでの練習スケジュール。

213日は本番だが、その前日はちょうどランバンサリの練習の日なので、その日にわれわれの演目を練習してもらって、練習後に楽器をレンタカーに積み込む、という段取りが一番効率的だろう、ということになった。ちなみにランバンサリのスタジオはビルの3階にあるので、楽器移動は大変。

それから練習のほうだが、大体の演目はランバンサリの人にとって慣れ親しんだ曲なので、直前練習23回、を計画することにした。

あと1ヶ月弱、どんなことができるかな。

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2007年1月12日 (金)

H幼稚園でのガムランプロジェクト始動

水曜日から幼稚園が始まった。同時に私にとっては2月に行われるガムランと幼稚園のお母さんのコラボ企画も本格的に開始だ。

このコラボ企画の経緯なのだが、数ヶ月前に園長から依頼があったことによって始まった。ガムラングループの「ランバンサリ」は幼稚園向け、小学校向けの鑑賞・異文化理解講座をやっているし、私も参加したことがある。でもH幼稚園の方針は既成のものより手作りを好む。しかも幼稚園の伝統(?)としてお母さんも子供以上に楽しむ、というものがあるので、何かランバンサリとお母さんたちがコラボできれる形にしていきたい、と考えた。

そこで、「ガムランとお母さんのコラボ企画」と銘打って、お母さんも便乗して楽しんじゃおう、という企画にした。企画が通り、晴れて準備を開始した。これが先月。

まずは内容。私の中ではこんな思いがあった。

1.まるで新しいものを作るのは時間的に無理。なので、ランバンサリが行っている幼稚園、小学校向きの演目を核として、お母さんたちが参加できるシーン、演目を作る。

2.お母さんの参加はリズム遊びをしながらの歌。そしてボンダンと呼ばれる子どもをあやす踊り。ボンダンは12分くらいの踊り。これを全部習うのはお母さんにとって負担。なので半分の56分くらいに短縮する。

3.従来の鑑賞講座ではランバンサリの人にインドネシアの紹介、ガムラン楽器の紹介などをしてもらうのだが、それらをストーリー仕立てにしながらお母さんがナビゲーター役(道化に扮して)適宜に曲と曲をつなげたり、楽器演奏をしている人にインタビューをしたり、全体的に一貫性があるものに仕上げたい。

4.せっかくなので、踊りにもストーリーを持たせたい。H幼稚園ではお母さんたちが演技したり、自己表現の場が多く与えられている。そんな環境を利用して、劇仕立ての場面もほしい。

これに基づいてまずは演目と台本を作った。まず、2部構成にすることにした。前半は鑑賞講座を基盤にして子どもたちにガムランの音を聞いてもらう。2曲目にはお母さんに参加してもらう。お母さんが参加する歌は「ラサ・サヤン」というインドネシア民謡。この歌を知っている人は多いだろうが、ランバンサリでもこの歌を鑑賞講座でよく使う。この「ラサ・サヤン」は日本語の歌詞がいくつかついていて、そのひとつが「川で歌おう」というものだ。ランバンサリはこの歌詞を使っているので、原語とはちょっと違うし、季節がずれているが、これを使うことにする。

後半は劇仕立てにする。長くなるので、この内容は次回にする。

さて、企画はできたけれど、あまり時間がない。年末に参加希望者に集まってもらい、内容を説明した。

懸案だったナビゲーター役の2人に希望者が出て、まずは一安心。台本の読みあわせをする。そして「川で歌おう」の練習。リズム遊びをするのならば、その道具はなるべく自然素材がよいのではないか、という意見が出た。石、どんぐり、豆、等。持ち寄って音を試してみて、少しずつ発展していけばよいな、と思う。この種のプロジェクトはこうしよう、と決めてもそのとおりにいかないことが多いので、なんとなくみなで集まって、試行錯誤をするのが一番だろう。2月にはまだ発展途中だろうけれど、みながその過程を少しでも楽しめたらな、と思う。

おととい2度目の練習をした。「川で歌おう」はまず、歌詞を覚え、そして同時に簡単なリズムを刻む練習をしてみた。踊りは練習あるのみ!

さて、衣装、小道具、メーク、踊りの仕上がり、など不安は残るが、こういうプロジェクト大好きです!お母さんたちにも楽しい体験をしてほしいな。(続く)

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2006年12月31日 (日)

K画伯ー5歳の誕生日

Kは今日5歳になる。思い起こせば、身の引き締まるような寒い日だったなー。空は雲ひとつない青空(その後は陣痛と、出産といろいろあり、覚えているのは病院に向かったときの青空だけ)。

長いようで短かった5年間。その間に彼はどんな世界を見ていたのだろうか。親は子に育てられる、というけれど、まったくそのとおりで、自分の未熟さとひとつひとつ向き合わせられた5年間だった。自分に過度のコンプレックスや疎外感があると、それが直に虐待やニグレクトにつながってしまう、そんな地獄への落とし穴がぽっかりと、しかも身近に口を開けていることも身をもって感じた。

悪の連鎖を断ち切ることを目標にしてきたものの、気がつけば、自分と同じ風景を子供にも見させているのではないか、という疑問が浮かび上がる。一見すくすくと育つKを見ながらも、そんな疑問を日々抱いてきた

H幼稚園は絵を描くことを推奨している。何を描く、というより、感情表現の手段として絵を重要な位置においている。私は幼児期のさまざまな理由から、まったく絵がかけない。絵を描くことによって、自分の感情と向き合う手段となれば、本当にすばらしいことだ、とかねてから思っていた。なのでKが楽しんで絵を描いているのを見るのが、自分のことのように楽しい。今学期もたくさん芸術作品(?)をもって帰ったので、それを何枚か紹介します。

「とりとくわがた」「かまきりくわがた(?)」「あめ」だそうです!

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2006年12月22日 (金)

幼稚園-異年齢、それとも年齢別のクラス?

幼稚園は昨日で終わり。しかし息子のKは最後の2日間、登園拒否。

その理由は、いろいろあるらしく私も定かではないが、ひとつは年齢別のクラスがいまいち居心地が良くないかららしい。以前もお話したと思うが、H幼稚園は縦割りのクラスを採用している。ただ、この何ヶ月かの間は年齢別のクラスに分かれていた。

この年齢別のクラスでいろいろ企画して、「子供が考える行事」もやったわけだが、実はこの年齢別のクラスは一部の子供には不評だ。

考えてみれば、普段の人間の係わり合いの中では異年齢の人々が集まるのが当たり前で、学校のように年齢別に別れるのは、効率的な学習効果を追求するためだろう(少なくとも、それがひとつの理由だろう)。しかし、このような同質の集まりは自分と違うものを排除する傾向にあるような気がする。私がH幼稚園を選んだ理由のひとつは縦割りのクラスを採用していることだった。

さて、なぜ同年齢のクラスが一部で不評かというと、子供はそこまで自分が感じていることを表現できないので定かではない。ただ、縦割りのときの子供たちの様子を観察していると、年齢の低い子供たちは年上の子供がいると安心するようだ。年上の子供は自分より小さい子供の面倒を見たり、世話を焼いたり、小さいなりに小さい責任感というものを身につけているようだ。小さい子にとって大きい子は憧れの的だ。「○○君はすごいんだよ。もう○○できるんだよ」と、報告を受けることが多い。

私も小学校に入ったばっかりのときは、コートのボタンをいつもちぐはぐにかけていた。あるとき6年生のお姉さんが「ボタンがずれているよ」と直してくれたことがある。そのときそのお姉さんがとても大人で素敵に見えた。それ以降6年生になることに密かな憧れを抱いていた。

小さなことだが、身近に目標にする人がいることは子供にとってとても大事だと思う。

さて、プチ登園拒否のKだが、「来年からはまた花組(縦割りのクラス)に戻るのよ」と、いうと「やったー!」と喜んでいた。これで問題解決だといいのだけど。

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2006年12月13日 (水)

幼稚園はイベント目白押し

日曜日には「子供が考える行事」というイベントがあった。子どもは年齢別のグループに分かれて、町を作った。息子のKは「森のまち」(ん、よく考えるとこれって矛盾している?)のメンバーでかぶとむしになった。子供たちは思い思いの衣装を作り(女の子の中には針で裁縫する子もいる)、なりきって踊ったり、歌ったり。

子どものころの一年の差は大きくて、Kのグループ(普通の幼稚園だと年中にあたる)は混沌とした中にも形ができ始めている、というかんじ。もう一年上のグループは完成度が高い。なかなか発想が豊かで面白かったです。でもゼロから何かを作り出す、ということは子どもとて簡単にできることではなく、やはり保育者なり親なりが子どもの取り留めないアイディアをまとめ、現実化していく手助けをしなければならないな、と感じた。

昨日は人形劇を鑑賞した。今日は落ち葉を拾いに行った。明日は拾ってきた落ち葉で焼き芋をするらしい。焼き芋、懐かしいですね。焼き芋を市街地でしなくなってから何年たつのだろうか。北風が吹く中、焚き火の火で手を温めたのは、ずいぶん昔のことのようだ(うん、実際ずいぶん昔のことです)。そして明日はお母さんたちがリコーダーの演奏会をするそうです。

そして来週半ばで冬休みに入る。4月に入園してから、私も一生懸命やってきたつもりだけれど、4歳のKにとってはこの環境の変化はあまりにも劇的だったようだ。飛び切り楽しいけれど、自分の周りで何が起こっているかを把握するのに精一杯な8ヶ月だったに違いない。

私にも大きな変化があったように思う。子どもを通して、もう一度子ども時代を体験することができた。もう一度やり直すことによって、自分のトラウマやコンプレックスの源を少しではあるがポジティブ方向に変えることができたような気がする。そして何かクリエイティブなことをするときには子どもの気持ちに戻ると、割合すんなりと形が整うようになってきた。そういう意味で創作の原点を見るよい機会となった。

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2006年12月 8日 (金)

紅葉美しいお寺めぐり

今日は幼稚園の企画でお寺めぐりツアーを行った。ツアーとはいっても花で有名な光則寺と観音様のある長谷観音の近場にあるお寺を回った。鎌倉に住んでいてもなかなかお寺を探索する機会がない。しかも今回のように案内してくれる人と一緒に回ったことがない。いろいろ新発見があった。

発見はとにかくたくさんあったのだが、印象深かったのは長谷の観音様は本当は細面だということ。下から見るとふくよかな顔に見えるよう計算されて作られているとのことだ。

そのほかにもいろいろ面白いものを見て、面白い話を聞きました。でもあえてここでは書きません。みなさんも鎌倉に来て発見してくださいね。

天気予報では雨だったが、幸いなことに雨にはなりませんでした。そんなに寒くもなく、とにかく紅葉真っ盛りでした。長谷寺の池の鯉も写してきました!

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2006年11月22日 (水)

幼稚園への秘密の近道!

幼稚園への送り迎えは自転車でやっているが、実は自転車では通れない近道がある。公園から森に入って、一山(?)越えていくのだ。雨が降った後、数日間はぬかるむので通らないようにしているが、昨日は暖かく、これから寒くなるので今年最後になるかもしれない、と思い近道を通って幼稚園のお迎えに行った。

家の近くの公園は紅葉が始まっていて、とてもきれい。

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そして森の中に入っていきます。子どもではなくとも、ワクワクする瞬間です。

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そして階段を下りたり上ったり。実際に歩くのはほんの少しだけだけど、森林浴効果は実感でき、頭はすっきり、気分は晴れやかになります。

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そして最後の写真は鎌倉山から眺めた江ノ島。富士山は雲がかかっていて残念ながら望めませんでした。つくづく鎌倉に住む幸せをかみしめた日でした。いつまで住めるかわからないので大切にしようと思った。Ts340238

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2006年11月 2日 (木)

狭まる子供の世界観

最近子どもと日々接していて、やはり最近の子どもは変わってきている、と感じざるを得ない。多くの人が指摘していることだが、実際に子どもやお母さんたちと話す時間が増えるにつれ、このことをひしひしと実感している。

何も私の育った時代やその時代の環境が理想的というのではない。今の子どもたちのほうが、いろいろな面でずっと恵まれていると思う。でも「いまどき」の子どもを理解するためには、やはり私たちの子ども時代と比べてみることが必要だと感じる。

大きな違いのひとつは、子どもが幼児期に世界観を形成するプロセスだと思う。幼児は周りの人、そしてその人の言動を通して世界観を形成する。大人であればニュースを見たり、本を読んだりして世界の出来事を知るわけだが、子どもは直接接する人を通して、世界はどのようなものかを推察するのだと思う。私が子どものころには多くの人と接した。優しい人、厳しい人、怖い人、頼りになる人、そして頼りにならない人。不条理な人。何か質問すると喜び勇んで薀蓄を披露する人。風邪をひくと暖かくして寝ていなさい、という人。いやいや、薄着して乾布摩擦をしなさい、という人。泥んこになって遊ぶと、汚い、と怒る人。腕白でよいわね、とほめる人。親戚が多ければ、中には立派なおじさんがいれば、責任感がなかったり、何をやっても失敗する、ちょっと困ったおじさんもかならず一人くらいいる。

人間というのは百人百様だ、だから世界もその延長だ、と幼児期に学んだように思う。

現在の子どもが日々接する人は非常に限られている。その結果、子どもの世界観の形成に一番の影響を与えるのが母親、ということになる。しかし母親だって一人の人間、だれにでも長所もあれば短所だってある。しかも母親は日々の仕事に追われているので、必ずしも広い世界観を子どもに提示できるとは限らない。そもそも一人の人間が完全に近い世界観を持つことなど不可能だ。昔の母親の精神的役目といえば、ベースキャンプのようなもので、何かがあったら戻ってくる、という場所だった。たとえば外で遊んでいて転んだり、年上の子どもにいじめられたり、そんなことを訴えにきて、「よしよし」と頭をなでられ、精神的に安定したらまた冒険に出かける、そんな場所だ。母親も子どもがいつもべったりしているわけではないので、必要とされているときには、仕事の手を休め、子どもの言うことを聴いてあげる、そんなゆとりがあったような気がする。今のお母さんは大変だ、掃除、洗濯、ご飯の用意、育児はもちろんのこと、お箸の持ち方も、マナーも、道徳も、勉強も、すべて教えなければならない。子どもの肉体的、精神的ケア、そのすべてを請け負っているのだから。でもだからこそ子どもが偏ってしまうのではないか。

今の子どもの世界観はいびつだ。これは虹が7色の色から成り立っているのにもかかわらず、その中の一色しか知らないようなものだ。

最近は異文化理解の重要性が指摘され、積極的に子どもたちに広めていく動きがある。もちろんこれは歓迎すべきことだし、私もそのようなイベントに参加することがある。でも、海外旅行よりももっと近くに異文化がある。昔はほかの人の家に泊まったり、遊びに行ったり、もっと子供が自由に日常的にいろいろな家を行き来していた気がする。人のうちに行くと少なからずもカルチャーショックを受けることが多かった。時には価値観が逆転していることさえある。家庭は独自の文化圏を形成していて、子供ながらに「こんなのもありなんだ」と、納得することが多かった。

幼児期に形成される世界観が狭いと、異物を排除する、という機能が働いてしまうのではないか。グローバル化で世界が狭くなっている時代に、皮肉な展開だ。でもいじめなど、子供をめぐる多くの問題はこの現象の延長上にあるような気がするので、子供に接するときには、自分の言動が多大な影響を子供に与える可能性がある、と肝に銘じている。

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2006年11月 1日 (水)

くわがた危機一髪!

今日は幼稚園がお休み。来年入園する子どもたちの願書受付の日なので。天気がよいので、とにかく外に出るのが一番。気持ちよく外出できる日はこれからどんどん少なくなるだろうから。

本を借りようと思って図書館の前を通るとかわいいビーグル犬がつながれていた。これを見逃すわけのない息子のKは早速近づき、遊んでいる。するとどこから来たのか、小さいのこぎりくわがたが歩いてこちらに近づいて来るではないか!するとビーグル犬が見つけて噛もうとしている。あーっ、と叫んでKに犬を押さえさせ、くわがたをつかんで、逃がした。今回は写真を撮りました。いつものようにちょっとピンボケなので、よーく見てください。_167 必死に威嚇しています。ごめんね。

さて庭のほうですが、ジャスミンたちがけなげにまだ花を咲かせています。クリスタルジャスミンとマダガスカルジャスミンはもう時期が終わったらしく早々にリタイアしてしまいましたが、マツリカは咲いています。今年最後の花でしょうか。たくさん花を咲かせてくれて、ありがとう。一番寒さに強いのはナイトジャスミン。花も咲いていますが、つぼみもまだついています。_156 _157 _158

ついでに唐辛子もまだ元気です。_159

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2006年10月30日 (月)

しいの実みっけ!

幼稚園でしいの実を拾ってきました。木の名前をあまり知らない私ですが、幼稚園のお母さんに詳しい人が大勢いて、木や木の実の種類、食べられる野草などを教えてもらえます。

しいの実、昔食べた記憶がある。なつかしい。

さっそく写真をぱちり。これは炒って、ご飯に入れるとおいしいのではないか。試してみます!

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週末は東京と川越に行っていたので、またまた更新がおそくなってしまったが、先週の金曜日は遠足で鎌倉中央公園に行きました。その日たまたま誕生日の子供がいたので、草や木の実でケーキを作りました。とってもきれい!

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暑くもなく、寒くもなく、とても心地のよい日でした。こんな日って結構数少ないのよね。

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2006年10月16日 (月)

どこまでも広がる子供の想像力

Ts340137 Ts340138 これは一見ごみに見えますが、実はK愛用の「すごい武器」です。素材は牛乳パック、トイレットペーパーの芯と毛糸少々、それだけです。Kによると、赤く塗ってある部分は火炎、青の部分は水の武器で、いわば「火責め、水攻め」両方OKの使えるやつです。もちろんダイナマイトも内蔵してあり、よく考えると、ダイナマイトを爆発させてしまうと、武器が壊れてしまうけれど、まあ細かいことはよいとして。しかももっとすごい機能を内蔵しています。トイレットペーパーの芯の部分はスパイカメラになり、もちろん録画、録音もできるらしいです。最近ではおもちゃのクワガタの飼育箱にもなっているみたいです。とにかく機能満載、まだまだ秘密が隠されているようです。

これを見て、子供は面白いな、と思われましたか?それともなんかちょっと子供がかわいそう、もっとちゃんとしたおもちゃでも買ってあげれば、と思いましたか?もしかしたら、両方ですか?自分の子供時代を思い出しましたか?

H幼稚園では既成のおもちゃをまったく使用していません。おもちゃの素材となるもの(牛乳パック、ダンボール)などを保護者が提供し、それを使って子供たちが自由な発想でいろいろな遊具を作ります。

個人的に理念には大いに賛同できましたが、おもちゃが巷に氾濫する現代に生きる子供達がこれで楽しむことができるかどうかについては少し疑問でした。でも、子供たちを見ている限り、あまり心配は要らないようです。子供の創造の翼は私たちが思っている以上に大きく、たとえ素材が牛乳パックでも、彼らの想像力豊かな目を通せば「すごい武器」に変身するのです。そして自分で作ったものは自分の想像力が行き着くところまで進化していきます。この万能武器も最初はただの爆弾だったのですが、だんだん新しい機能が増して、現在に至り、これからどういう風に進化するのか私にはちょっとわかりません。既成のおもちゃだと、この進化の過程が欠如しているような気がします。

思えば、日本もちょっと昔まで、そして世界のほとんどの国では今現在も紙の素材すら子供の手には渡らない状態です。だからといって、彼らは気の毒なのか、というとそれはまったく間違っています。おもちゃがなくとも、子供は楽しめます。手遊びや体遊びは世界のどこでも見られるし、それによって子供は互いとの関係を築き上げます。

ところでおもちゃに関していつも興味深く感じるのは、インドネシアでは子供のおもちゃの取り合いがまったく見られない、ということ。まだわからない年下の子供がおもちゃをつかむと、年上の子供はその子のなすがままにする、というのが習慣みたいです。年上の子供はかわいそうだな、と感じるけれど、自分も年下のときがあったので、それはしょうがないのかな。

この現象をしっかりと観察できたのはKをインドネシアに連れて行ったとき。彼はまだわけのわからない欲求のまま行動する正しい(?)日本の2歳児。インドネシアの正しい2歳児との違いを興味深く観察しました。日本代表のKはどこに行ってもおもちゃをつかみます。当然友達が持っているものでもかまわずつかみます。不思議なことにインドネシアの2歳児はこれもあまりしない。小さいときから我慢することを教えられているからなのかしら。そんななかでKはおもちゃを取り捲り、ほかの子はちょっと唖然としてみているものの、しばらくするとおもちゃを集めてきてKに渡している。そんな独占欲丸出しのKを見ているのが面白いようでした。

子供はどこでも同じだろう、と考えているとどうもそうでもないみたいです。文化や習慣というものは、われわれが考えるよりも早い時期に子供に浸透するのかな、と思いました。

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2006年9月13日 (水)

健康的な生活を目指して、そして秋蒔きの種

おとといは夏ばて、と言っていた私。今日は寒いです。実は私は暑がりで寒がり、かなりひ弱です。

おまけに雨も降り出して…、今日はバスで幼稚園まで行ってきます。

幼稚園は明日からお弁当が始まります。私も気合を入れて朝早くからがんばらなければならない。ということで夏休み中にはサボっていたことを少しずつはじめました。

まずは早寝早起き。朝は6時起床。6時半からテレビのラジオ体操。ジャワ舞踊のゆっくりとした動きになれている私にとって、ラジオ体操の動きは速すぎる、と最近感じるようになりました。特にひねったり、反動をつけたりする動きには違和感を覚えるのですが、まずは血流を良くすることが必要なので、10分間運動。その後鉢植えの水遣りや手入れ。Kが起きる前にメールチェックと仕事を少々。

さて、庭の状態ですが、依然としてジャスミン類が良い香りを放っています。が、このような急な寒さでどうなることでしょう。涼しくなってきた、ということは、秋蒔きの種もそろそろ、ということでしょうか。皆さん何を蒔かれますか?私は春に蒔いたアスターとカレンジュラをもう一度蒔きますが、そのほかにもすでに種を買って用意しています!まずはあこがれていたニゲラ、そして香りの良いストック、おまけでもらったピンクのシレネ。楽しみです。でもこんなわけのわからない気候だと、蒔くタイミングが良くわかりません。こういうとき、みなさんのブログがとても参考になります。いつもありがとうございます。

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2006年9月 5日 (火)

幼稚園始まる、そしてニンニク唐辛子味噌

昨日から幼稚園が始まった。先週末に駆け込みで江ノ島水族館に行ったくらいで、夏休みらしいことをまったくやっていなかった。Kにしてみれば幼稚園の友達にあえるのが待ち遠しいようだ。夏休みの間に新調したリュックに荷物を自分で入れて、背負ってみたり、結構心待ちにしていた。

昨日幼稚園に行ってみて、来週の半ばまでは午前中保育と知り、ショックを受けた。つまり行ったらすぐ帰ってくる、ということで、その間ほとんど仕事ができない。

でも子供にストレスを与えない、ということではこのような方法が望ましいことはとてもよく理解できる。久しぶりの幼稚園で泣いている子供もいる。Kも2時間楽しんだ割には、ほかの子と遊ばすすぐ帰るといい、その上不機嫌になり、ぐずってしまった。Kは普段あまりぐずらないが、くたくたに疲れているとき、病気になる前などきまってぐずる。幸い熱は出さなかったものの、家に帰るなり、ぐっすりと寝てしまった。たった2時間の保育だったのに。

子供は感受性が強いし、大人のようにエネルギーをセーブすることも知らない。意外とストレスを受けやすいのだ。アメリカの学校はこの点を良く考慮していて、儀式(セレモニー)的なもの(たとえば入学式など)を廃止し、学校が子供にとって敷居をまたぎやすい場所にするようさまざまな努力をしている。ここに子供の満足感と大人の満足感とのギャップが見られるような気がする。

さて、今日は防災訓練の一環として、非常時のお迎えの練習をした。とはいっても親が皆10時半に家をでる、というものだ。私はチャリなので、15分程度でついてしまう(非常時にチャリに乗れるかどうか、という疑問は残るが)。遠い人はこんなとき大変でしょうね。子供たちも防災頭巾をつけたり練習したみたいだが、Kはまったく何をやっているのか、理解していないよう。大丈夫だろうか・・・

それにしても残暑厳しい今日この頃、体力をつけなければならない。ニンニク唐辛子味噌を作った。作り方は簡単。ニンニクのみじん切りをいためて、唐辛子も加える。その後味噌を炒る。砂糖、みりん、酒を加えて、炒って水気を飛ばす。今日は赤味噌を使いました。これを食べると食が進みます。

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2006年7月11日 (火)

幼稚園話(好きなものしか食べない子供たち)

早いものでもうすぐ夏休みだ。暑いこともあり、とうとう今日でお弁当は終わった。あっという間に終わった感じがする。H幼稚園は、子供が好きなものをお弁当に持たせてください、という方針だ。私はホッとした。小学生のころ、給食が食べられなくて、教室に残って食べさせられたのがまるで拷問のようで、まだトラウマになっているからだ。

なにしろあのころは「○○を食べなければ、大きくなれない、頭が良くなれない」など、食べないとまともな人間になれないような、脅迫めいたことを言われた。今になれば、蛋白質も炭水化物も繊維もいろいろなものから摂取できる。これでなくてはならない、というものはなく、なんにでもオルタニティブがある、ということを知っている。

子供は不快なものを避け、快感を得ようとする本能をもっているらしい。オムツが汚れていたり、おなかがすいていたりすると泣く、などがその最たる例だろう。なのでまずは快感を多く経験させることが「生きること=楽しいこと」という感覚を根付かせることになるのだろう。私は給食のトラウマがあって、食べることを楽しい、と感じたことがほとんどない。どちらかといえば面倒くさいこと、食べなければお腹がすくからしょうがないから食べる、というかなり消極的な「食」に対する態度を持っている。食べることに人生の楽しみを見出している人々にとっては、つまらない人生に映るであろう。食べることによって、いやなことを忘れたり、よしまたがんばろう、というやる気が出たり、おいしいものを食べることを心待ちにしたり、食べるという行為は人間の根本的な活動ゆえ、「生きる」という行為にさまざまな色合いを与えるものだと思う。

だから私は自分の子供が食べることによって人生が豊かになってほしいと思っている。

しかし、あのNHKの番組は多くの人に衝撃を与えた。「あの」と書いたのは、見ていないのでタイトルがわからないこともあるが、それが放映されてから、幼稚園でももちろんのこと、知人のほとんどが話題にしていたからである。たしか「好きなものしか食べない子供たち」というタイトルだったと思う。

強制的に食べさせるのは逆効果だということは痛いほどわかっている。だからといって好きなものしか食べない、というのもあまり想像力がなさすぎないだろうか。少し年上の年代の人は親が過保護だから、またわれわれの時代は食べ物がなかったから何でもおいしく食べたのに、と主張する。でも今の子供たちにそれを言ってもなかなか通じない。どこにでも食べ物は氾濫しているし、どんな食べ物でも手に入る。ゆえに常にマンネリ状態だとも言える。

そこらへんの兼ね合いがまったくわからない。これも豊かさゆえの貧しさなのだろうか。

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2006年6月24日 (土)

年長さんのお泊り

来月、年長さんに当たる子供たちが幼稚園でお泊りするそうです。楽しそう!

この間園庭にはためいていたTシャツはお泊まりように一人一人染めた「myTシャツ」だそうです!そしてドラム缶風呂に入るための脱衣所をトンカチやのこぎりを使って、子供たちが自ら建設中だとのこと。そうか、あの庭の不思議な建造物は脱衣所だったのね。自分たちで企画したものは、大人の押し付けよりきっと楽しさも、ワクワク感も倍増することでしょう。

H幼稚園は年齢が違う子供たちがひとつのクラスを構成する「縦割り」だが、時々同じ年の子供で集まり散歩なり、ものづくりなどするようだ。最近はこの「お泊り」に向けて年長さんたちが集まって、いろいろ準備をしている。

Kはまだ年中なので、年長さんの活動をうらやましそうに見ている。

最近Kは庭での砂遊びに夢中だ。砂で山を作り、真ん中にカルデラ湖(?)のように穴を掘り、そこに水をどんどんためていく、そしてかなりの量をためたら、ちょっとふちを決壊させ、水が川になってジャーと流れ出す。途中でダムを作って水をせき止めたり、時にはなるがままに流れるのを眺めたり、とにかく飽きないで何度も何度もやっている。これは私も子供のころにやりました。確かに時間を忘れるほど楽しかったです。

Kは家に帰ってもお風呂で水流し遊びをやっている。洗面器を江ノ島に見立てたり、流されていくアヒルのおもちゃを救出したり、お風呂から出すのが一苦労だ。

子供の時間は大人の時間より基本的にゆっくりと、でもさまざまなテンポで過ぎていくのだなー。そういえば、以前にもインドネシアの時間感覚について同じようなことを書いた。

もしかして、時間を時計のように機械的に測るのは現代人の(特に日本の)特徴ではないか。

私も毎日が時間との戦いだが、少なくとも子供には自分の心と体の要求にマッチするような時間をすごしてほしい。これは矛盾しているかな。

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2006年6月13日 (火)

梅の収穫

今日は幼稚園で梅取りを行った。普段どおりの幼稚園児と、準備万端、やる気満々の保護者達とのコントラストが面白かった。やり方はかなり原始的だ。長い竹の棒で梅をたたいて落とす、のみである。竹の棒を持って落とすのが保護者で、落ちてきた梅を拾うのが幼稚園児。確かに大人のほうが楽しいわ、これは。結構はまりました。最初は園内の梅を落とし、次に外にある大きな木の収穫に取りかかった。園長自らが木に登って竹ざおを使って高い場所にある実を落とすと、雨のように降ってきて、時々直撃されるのだが、おかげでかなりの量が収穫できた。

このような方法で落とした梅はコンクリートに落ちると割れてしまう。割れた梅は梅干には使えないので、ジュース用となる。その後園児たちは梅を洗って、砂糖につけ梅ジュースを作ったらしい。

それとは別に保護者のグループは今回収穫した梅を加工して、バザーに出品する梅干やその他の製品(ジャム?)などを作るらしい。何ができるか楽しみだ。

おみやげ(?)で梅をたくさんもらってきたKと一緒に梅ジュースを作ろうと思ったものの、白砂糖が切れていて、あわててコンビにに買いに行った。2人で梅にフォークで穴を開けて、梅と砂糖を交互に入れた。幼稚園もう経験済みのKは率先して作業を行った(梅にぶちぶち穴を開けるのが楽しいようだ)。おいしくできると良いな。

おばあちゃんが元気だったときに毎年梅干を作っていた。子供ながらに大変な作業だと感じた。でも今日梅の収穫を見ていて、梅干も作ってみたいな、と感じた。Ume_juice_8

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2006年6月12日 (月)

クワガタと絵本

先日幼稚園から帰る道すがら、歩道でクワガタを見つけた!Kも私も大喜び。ムチキング(ムシキング)が大好きなK。しかし奴は怖くて触れない。歩道にいると踏まれてしまうかもしれない、とKは心配顔。しょうがなしに私が拾って木にくっつけてあげた。それにしてもこのクワガタはどこから来たのだろうか?確かここら辺にはクヌギの木があったような。Kが家につれて帰りたい、と言わなくて良かった。

そして数日後、絵本にあまり興味を示さないKが幼稚園で絵本を借りてきた。題名は「のこぎりくわがた」。のこぎりクワガタが木の蜜を吸っているうちに、木からおっこってしまい、しばらく気絶していたが、やっと目を覚ましたもののひっくり返ってしまっていてなかなか起き上がれない。足をばたばたしているうちに葉っぱにつかまり、よいしょ、と元に戻ることができた。そして葉っぱの陰に身を潜めた、という内容だった。

これを読んでKは大満足。「あのクワガタも木からおっこったんだ!」と大いに納得がいったようだった。

H幼稚園では絵本を子供の発達に重要なものと位置づけている。「絵本の部屋」と呼ばれる図書館があり、子供は自由に本を借りられるようになっている。Kは本屋に行っても持ってくるものはいわゆる乗り物系の本ばかりで、とうてい絵本好きとはいえなかった。この「のこぎりくわがた」がきっかけとなって少しずつ本を借りてくるようになった。今読んでいるのは「バムとケロ」の絵本。これはかなり有名なシリーズらしく、遊びに来ていた中学生の姪っ子が「これはうちにもあるよ」と言っていた。本を通して世界が広がるって良いな。

ちなみに幼稚園では親も本が借りることができる。そして子供に「あの本を借りてきて」と言わないように何度も注意された。子供の興味や関心はプライベートなもので、それに親が干渉したり影響を及ぼしたりすることは良くないと考えているようだ。確かに私ならばあの「のこぎりくわがた」は借りなかっただろうな。

PS.Kは一人で「ムチキングごっこ」をよくやるが、そこに登場する「ニョーキ・クワガタ」はどうやら「のこぎりクワガタ」のことだったらしい。いまだにKの言っていることが、ずっと後になってからやっとわかることが時々あります。

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2006年6月 8日 (木)

少子化ってホント?

少子化に歯止めが利かないという。一人の女性が生涯に産む子供の数の推計値である合計特殊出生率が昨年度1.25となり、5年連続で過去最低を更新した。

私はこのニュースを少し不思議な気持ちで聞いた。なぜならH幼稚園に関する限り、皆子沢山だ。登園には小さい弟や妹がベビーカーで一緒に来るし、何か活動をする場合にも小さい子供たちが必ず、自然な感じで参加している。町で、社会で、子供の存在が感じられない、といわれて久しいし、子供をつれて歩くと珍しがられたことが良くある。でも幼稚園が始まってからは、毎日大勢の子供の存在を常に身近に感じていた。

よく考えてみれば幼稚園の母親の最低出生率は1だ。子供がほかの場所より集中しているので、当然だといえば当然だ。言い換えれば、産んでいる人はどんどん(!)産んで、同時に一人も子供を持たない決断をする人もふえているということなのかもしれない。H幼稚園の特殊出生率だが、私に見た感じは2.5人くらいなのではないか、と思う。もちろん統計を取ったわけではないし、皆に聞いてみたわけではないけれど、少なくとも全国統計よりは当然ながらずっと高いことは明らかだ。

この間テレビで『ネオ子沢山』という、4人以上子供を持つ人々の特集をやっていた。つまりお金より何より、子供が一番の財産だ、と考える人々が増えている、という話だった。生活水準は高くはないものの、和気藹々と暮らすその姿はほほえましくもあったし、誇らしくもあったし、日本にいまだにはびこる拝金主義を吹き飛ばすだけのパワーがあり、このような人たちがいる限り日本の未来も大丈夫ではないか、と希望が持てた。この人たちを見ていてインドネシアの人々を思い起こした。

インドネシア人は子供が大好きだ。あまり物やお金を持たないけれど、子沢山で、とにかく子供をかわいがる。そしてあまり心配しない。正しい行いをしている限り、神様がいつも守ってくれる、よい種をいつも蒔いていれば、いつか実のなるときが来ると信じているからだ。傍観者の私から見ていてもその通りで、皆みんなどうにかやっている。親族、友人、ご近所の結束も固い。

彼らに比べると日本人は心配性だ。子供を産み育てる、という責任を軽く考えるべきではないが、起こりうるすべてのネガティブなこと(子供が犯罪の加害者や被害者になる、教育費は1000万円、等)の側面ばかりがクローズアップされて、その結果二の足を踏む人も多いのではないか。

H幼稚園の子供も親も結構楽しそうです。価値観を転換すれば、きっと楽しくなるはず、と思うのだけど…

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2006年6月 6日 (火)

幼稚園話ーはじめに

この4月から息子のKが鎌倉市のH幼稚園に通っている。

「早いもので今度の4月から幼稚園で」というと、知人からは一様に「大丈夫?」と心配された。この「大丈夫」はKに対する心配ではなく、私の送り迎え、お弁当作り、そしてほかの親御さんとの人間関係などに対する心配が含まれていたものと思われる。確かに幼稚園に通う子供の親どうし付き合いのわずらわしさ、トラブルなどが週刊誌やテレビなどで取りざたにされている。2ヶ月を過ぎて振り返ると、このような情報が独り歩きしている感じも受ける(かくして少子化はますます進む)。

さて、H幼稚園に決めた理由は数多くあり、まず第一にとても「面白い」場所であるということをさまざまな人から聞いていたからだ。この「面白さ」は後々少しずつ付け足していくことにする。またロケーション的に言っても2番目に近い幼稚園だったからだ。海にも近く、7月に入ると海でも遊べるらしい。

基本的にH幼稚園は子供、親に対してストレスフリー。結構気楽にやっている。Kはといえば、毎日いろんな子供と遊ぶらしく、今はそれが楽しみみたいだ。

幼稚園の始まりからレポートしていきたかったのだが、さすがに最初はあわただしく、気づいてみれば2ヶ月も経ってしまった。これから少しずつ書いていきますのでよろしく!

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