聖母ではないお母さんへ:チョコレートは子どもと均等に分け合おう!
わが子を愛するレッスン「傷ついた子ども」だった両親へ
という本を読んだ。著者はマーガレット・ラインホルドという心理療法の専門家だ。
親の子どもに与える影響(特に悪影響)は限りなく強く、子どもの潜在意識に深く刻まれる。そのような例をこの本では数多く紹介している。それだけで親は(私は)フリーズしてしまいそうだが、同時に肩の荷が下りるような気持ちにもなったので皆さんに教えたいと思う。
その部分とは:
トレッキングしている親子が一休みしている。母親がチョコレートを人数分均等に切り分けて、親子で同じ大きさのチョコレートを食べた。
それだけのことなのだが、著者はそこに健全な親子関係を見て取った。
つまり、著者によると、母親はチョコレートくらい子どもに譲るべきだ、という考えは間違っている、というのだ。母親は子どもの犠牲になって当然、という考えは日本では根強い(このようなシチュエーションの場合母親は子どもから「ママ、食いしん坊」、そして祖母からは「子どもと争って大人気ないわね」といわれるだろう)。
母親が本当の聖母で、見返りのない愛情を子どもに垂れているのならばまったく問題はないのだが、そのような聖母は数少ない。普通は「私だって食べたいのに」と思いながら、母親だったら子どもに食べさせるのが当然だ、と思いながら子どもにチョコレートを譲っている母親の心の中はどうなっているだろうか。「ママだってチョコレート大好きなのに、あんたに譲ったのよ(食べ物の恨みは恐ろしいのだ)」これがさらには「ママはあんたのためにどれだけの犠牲を払ったか知っているの?」になり、つまりこれは「だからあんたもママの言うとおりにするのが当然よ」「老後の世話をするのは当然」とママの要求はエスカレートするわけです。つまり母性愛を垂れていると見せかけて、密かに、しかし当然のように見返りを期待するのです。子どもは「生んでくれって頼んだ覚えはない」って言うしかないですよね。
子どもに罪悪感を植え付けるのは比較的簡単で、自分は崇高なことをして、罪悪感をべったりと子どもに塗りつけているのだったら、子どもがかわいそう。それならば、お母さんもチョコレートを要求するほうが、親子ともども気が楽でしょう。お母さんは聖母にならなければ、というプレッシャーから開放されるし、子どもは「ただより高いものはない」チョコレートを知らず知らず受け取ることもないのだから。
強調するが、子どもに対して何もしてやらなくてはいい、といっているのではない。当然ながら子どもに割く時間は大きく、自分の時間がもてないことも多い。ただ親子ともども「母親は見返りのない愛を24時間垂れている」という聖母伝説が刷り込まれると悲劇的な結果をもたらすことがある。母親は「子供を愛すのが当然なのになぜ否定的な感情(子どもがかわいくない、嫉妬心や競争心、等)を抱いてしまうのだろうか」と思い悩む。思い悩むならまだしも、自分は聖母と信じきっていて、自分の気づかない部分で子どもにプレッシャーをかけてしまっていることは多くないだろうか。子どもは親から攻撃的なメッセージを受けているような気がして(親が子に対して攻撃的な感情を持つはずはないのに)、困惑する。結果、自分に罪悪感や劣等感、そして親に対して攻撃的な感情さえ持つ。
それならば、親といえど生身の不完全な人間なのだから否定的な感情を持つことがある、ということを親子共々受け入れるほうが良くはないだろうか、とこの本は提案している。
例に挙がったトレッキングしている親子は不健康な力関係に陥ることなく、親子対等な関係を築いている。そして聖母になる前に親の自己確立、子どもからの自立が必要じゃないかな、と私は思う。



















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