2008年7月21日 (月)

インドネシア三昧

暑いですね!私のコンピューターは一足先に夏ばてで調子が悪く、なかなか開けない状態が続いています。ブログの更新もできずにすみませんでした。またいつ更新できるかわからないので、ちょっと急ぎ足で書けるだけ書こうと思います。

さて、先週は小学校最後の週でもあり、息子のKがとても楽しみにしていたインドネシアのワヤン(影絵)の公演がある週でもありました。公演2回、そしてそのための練習も見に行き、Kは大満足です。次の日(昨日です)は代々木公園で行われていたインドネシアフェスティバルをちょっとだけ見に行きました。

第一回ということもあり、かなりスケジュールが読めないイベントでした。とにかく行ってみると、「ナマステ・インディア」よりかなり小規模ながら、ステージにはスンダ地方とバリ島のガムランが並んでいて、期待が膨らみます。在日インドネシア人が大勢来ていて、クレテック(丁子タバコ)の匂いが漂い、インドネシアにいるみたい。しかもシンセサイザー弾き語りお姉さん(Lia Apriliaさんというらしい)が出てきて、インドネシアのヒットソングを歌いだすと、大盛り上がり、インドネシア人はすぐに前に出てきて踊りだした。これは村のお祭りイベントそのまま。この踊り方でインドネシア人か日本人かがはっきりわかるから面白い(というより日本人はほとんど誰も踊っていなかった)。

お姉さんが終わって、期待が膨らむが、そこはインドネシアのイベント、長い長いスピーチなしにはイベントは進まないのだ。ジャカルタ文化庁(多分)のお偉いさんが、ジャカルタをPRする。お偉いさんが3分くらい話して、通訳の人が10秒くらいの繰り返し(笑)。やっと終わってブタウィとも呼ばれるジャカルタ特有の踊りが始まる。Ca390120

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そしてバリ、スマトラと続き(この時点でKはなぜか走って逃げ出した。なにが怖かったのかはわからない)、今度は西ジャワのお偉いさんのスピーチ。ここで私はKに促されて帰った。

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2008年6月 3日 (火)

今日は大雨の中、「青木浩二陶展」に行ってきた。

青木さんのスタジオは幼稚園に程近い上に、お母さんたちと感性がマッチするらしく、かなりの数のお母さん達が青木さんの陶芸教室に通っている。でも今回の展覧会は由緒ある西御門のそれも由緒ある洋館で行われる、というので、豪邸好きの私は楽しみにしていた。

この洋館(西御門サローネ)はもともと石川邸と呼ばれた由緒あるお宅で、西御門の奥の奥、緑深い場所にあった。残念ながら折しも強い雨と風で外観を堪能することができなかった。

中に入ると、洋館独特の匂いに包まれタイムスリップした。そして階段の踊り場から渡り廊下があって、茶室につながっている、という意外な作りが洋館好きにはたまらない。スリル満点、どきどきする瞬間です(ちょっと意味不明)。和室から見える緑がきれい。

西御門サローネのウェブサイトで美しい写真が見られるので、そちらで見てください。窓フェチの私はすかさず窓の写真を何枚か撮ったので見てください。Ca390310 Ca390313 Ca390308

さて、この和洋折衷の邸宅で青木さんの作品はあたらしい命を吹き込まれたごとく魅力的に見えた。青木さんの案内には「和・洋の要素を併せ持つスタイリッシュでモダンなうつわ」と謳われている。この雰囲気にぴったりのはずだ。緑と雨と土と、有機物が息づいている、そのコラボレーションを堪能した。

青木さんの展覧会は6月7日(土曜日)までやっている。ぜひ足を運んでみてください。晴れた日には散歩がてら行くのもまた楽しいと思います。

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2008年6月 1日 (日)

ジャワ舞踊体験講座のお知らせ

横浜若葉台にある「かながわ文化センター」で講座を始めてから2年がたちました。少人数で楽しく練習しています。短期間で結果を出すのではなく、長い時間をかけて、ゆっくりと無理のないように体を鍛え、そして舞踊の基本である美しい動きを習得し、そしてそれが日常の所作にも反映するよう、そんなことを目的にしています。

昨年の終わりに完成したばかりの、明るくてきれいなお部屋です。

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お近くに住んでいらっしゃる方、興味のある方、どうぞご参加ください。踊り経験の有無、年齢は関係なくご参加いただけます。

詳しくはここをクリック

日時:6月12日、19日

時間:10:00-11:30

参加費:無料です

お申し込み:045-921-3366080217_022

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2007年11月 7日 (水)

H幼稚園での影絵プロジェクト第3回ミーティング

10数名の参加を得て昨日行いました!初回のミーティングでは何をやるか私自身も当然ながらお母さんたちもまったくわかっていなかったのですが、今回はものすごい進展がありました。

まず、練習用のスクリーンを作りました。障子紙ぶら下げただけですが、これで作成中の影絵に光を通してみることができ、どこが足りないか、自分でチェックできるようになりました。いままで仕上がりどういう風になるかわからない状態で作ってきたのが、自分でイメージしながら影絵を作ることができます。

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その影絵製作ですが、H幼稚園のお母さんたちはもともと手作り、手仕事大好きなので、作業場は工房のようになっています。

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作画も本格的になってきました。Ca390179 Ca390180

あとひとつ進展は、光源が決まったことです。いろいろな光で試行錯誤していましたが、ハロゲン電球がやはり一番よい、ということになりました。家の物置にあったスポットライトに配線を施しながら使っています。なにせぼろなので、公演当日まで持つか一抹の不安が残りますが…

これで作業の形が整ってきたかな、という気がします。まあとにかく楽天的な集団なのでどうにかなるでしょう。

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2007年11月 6日 (火)

インド映画を見に行く

私は趣味の欄に当然のごとく映画鑑賞と書く。ただしこれは息子が生まれるまでのこと。今ではテレビでしか映画を見ないにせものの趣味となってしまった。

夏に一念発起して映画を見に行こうと思ったが、やっぱり無理。挫折してしまった。ところが数週間前に偶然にインド映画祭のチラシを見つけてしまった。

「日印交流年 インド映画の輝き」というもの。東京駅に程近いナショナルフィルムセンターで10月9日から11月16日まで開催している。入場料は500円!

涎が出るようなプログラムを見て、インド映画大好きの血が一気に沸き立ってしまった。しかし見に行ける日はほとんどない。数ある名作の中でひとつ選ぶとすれば、やっぱり私の一番好きな監督ゴーヴィンダン・アラヴィンダンの作品となる。偶然日曜日にまだ見たことのない「チダンバラムの愛」を上演しているので、これに狙いを定めた。体調悪かったりいろいろあったけれど、ここで逃したら後何年待たなければならないのかわからないので(川崎市民ミュージアムはアラヴィンダン作品を数多く所蔵している。またアラヴィンダン映画祭ぜひお願いいたします)、日曜日にしては早起きをして、見に行った。

フィルムセンターは八重洲口から歩いて十分弱。はじめて訪れる場所だ。日曜日の午前だからだろうか、人出はゆっくりだ。観客は初老の男性が8割がたといったところ。

肝心の「チダンバラムの愛」のほうだが、1985年の作。ほかのアラヴィンダン作品同様、かなりゆっくりのスタート。ちょっと演劇っぽいシーンを経て、だんだんどっぷりはまっていく。アラヴィンダンの映画作りはすべて大好きだが、風景を使って心理描写するところがすばらしいと思う。ストーリーはあえてここで明かさないが、ちょっと違和感のある音声や、素人の演技(彼の映画には素人がたくさん出演している)等々、あら捜しをすればたくさんあるだろうが、彼の映像の前にはそんなことがまったく無意味となる。

実は私アラヴィンダンに何度かお会いしたことがある。ハワイで毎年行われるフィルムフェスティバルの際に、ハワイに来たことがあるからだ。彼は仙人のような人で、まったく自己主張をしない穏やかな性格だった。私の記憶に強く焼きついているのは、フィルムフェスティバルで彼の作品が受賞し、その後のパーティーに潜入したときのこと。フェスティバルに参加した監督たちは、当然配給者や評論家相手に自分の作品を売り込もうと必死だった。ところがアラヴィンダンは完全にリラックスしていて、私たち学生相手に立ち話をしていた。そのとき、テレビで映画番組を持っているアメリカで一番有名な映画評論家(ゲストで招かれていた)がアラヴィンダンに近づいてきた。私たちは全員アラヴィンダンを取られてしまうな、と思った。ところが映画評論家が「すばらしい映画だったね」と声をかけると、アラヴィンダンは振り返り「ありがとう」と一言だけ言って、すぐに私たちの会話に戻ってきた。あの時はうれしかったな。私たち全員アラヴィンダンにさらにほれ込んでしまいました。

今回アラヴィンダン作品は2作出ている。「チダンバラム」のほかに「魔法使いのおじさん」が15日に上映される。これも初期のアラヴィンダンらしい、すばらしい作品です。ぜひお時間を作って見に行ってください。

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2007年10月31日 (水)

H幼稚園影絵プロジェクト第二回ミーティング

昨日第二回目のミーティングを行った。出席者は10人以上。お忙しい中に出席していただき、本当にありがとう。

まずは、前回からの宿題だった台本(私担当)が一応完成した。どうせやるならインドネシアのお話がよい、という意見があったので、インドネシアのワヤン演目のなかでも、一番哲学的といわれる「デウォ・ルチ」を元に作った。確かに難解な話なので、子どもバージョンでもかなり難解かもしれない。でも子どものレベル(大人が考えている子どものレベル=いわゆる子供だまし)に噛み砕いたものばかりを与えるだけでは何かが違う気がするし、第一それは大人の自己満足で終わっていたり、同時に子どもの感性や能力を馬鹿にするものだと思う。なのであえて、この演目を選んだ。

台本が出来上がったので、人形作りをはじめる。まずはインドネシアの影絵から作りやすい動物などの絵柄を選んで、カーボン紙で工作用紙に写して、早速カッターで切り始めた。H幼稚園ではこの手の仕事が大好きな人が多い。結構楽しく作業が進む。

今一番の問題は光源とスクリーンつくり。そもそも人形つくりも光源の強さとスクリーンの大きさが決まらないと進まない。なぜなら人形の大きさや細工の細かさは光の強さや質を考慮しなければならないからだ。だが光源はまだ試行錯誤の状態だ。

現在は50ワットのハロゲンランプを使っているが、あまりはっきりした影が得られない。ランプの側面と背後から光が漏れているので、黒い布で覆ってみた。するとかなり改善したので、みなでびっくり。まるで理科の実験だ。バンドアのような黒い覆いを作ってはどうか、という意見が出た。そしてもっと部屋が暗くなったら、はっきり見えるのではないか、という意見も。それには実際影絵を上演する部屋で試してみて、スクリーンと光源の位置と距離を決定することが必要かも。とにかくこれは試行錯誤あるのみです。私はインドネシアでかなりの量の影絵を見てきたつもりだが、テクニカルな側面はほとんど無知に近いことに改めて実感。しかし光って面白いものですね。同じ電球でも光が拡散したり、集中したりいろいろ性質が違うからいろんな用途もあるのでしょう。これといった結論は出なかったものの、みなでわいわい意見を出し合い、あれこれ試してみるのは楽しいです。座長の私の知識不足はちょっと問題(というより致命的)だけれどね。楽観的な集まりなので、どうにかなるかな、という気もします。

それからスクリーン。何年か前に影絵をやったお母さんがいて、そのときのスクリーンがあったので、枠だけを使って、障子紙を張ることにした。シーツだと繊維の織り目を通して光源が見える、とのことだったし、春に行ったワヤン・リストリックのワークショップでも障子紙を使っていたので。

当面の課題は光つくり、という結果になりました。もちろんその先には人形つくり、演技の練習等々が待っています。まだ一度も公演を行っていないのに、次回はどこでやろうか、なんて話が出ています(笑)。はい、かなり楽天的ですね、皆さん。

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2007年10月24日 (水)

H幼稚園での影絵プロジェクト始動

今年の2月にガムランとお母さんとのコラボ演奏会+舞踊劇をやったが、今年度になってからは、まだお母さんたちによる劇が行われていない。

私も気にはなっていたが、なにせ体調不良で、自分が率先して公演をやることは考えていなかった。もちろん私のほかにも演劇をやったことがある人、やりたい人がいるのだが、みな忙しそうで、ただ時間だけが過ぎていった。そんななか、もうすく年末なのに、何もやらないのは子どもたちがかわいそうだ、という意見が出て、結果、去年からいろんな方面から希望のあった影絵に着手することになってしまった。

体以上に脳みそがスランプに陥っている私だが、ようやっと重い腰を上げつつある。

幼稚園と話し合った結果、公演日時は12月19日(水)と決まった。これは2学期最後の日で、子どもたちによいプレゼントになるだろう。

先週の金曜日に初回ミーティングを開いた。

早速問題点が指摘された。 影絵に関しての知識や、どのような影絵を目指すのか(ストーリー、絵の作風など)についてあまり共有した情報がないため、ストーリー作り、影絵製作が難しい、ということ。

確かにそうだ。インドネシアでは影絵芝居「ワヤン」は一番人気のある伝統芸能だ。子供も見るし、それ以上に大人が楽しむことができる。そしていろいろな催し物の一環としてワヤンが上演される。テレビがなかったころはもちろん、現在でもとても人気のある芸能だ。

ところが日本では影絵というと子どものために、昔話をやったり、影遊びをやったりした記憶はみな持っているだろうが、万人に認知されたジャンルにはなっていない。しかもエンターテイメントがデジタル化するなかで、影絵は魅力を失いつつあるかもしれない。

したがって今回は初めてでもあるわけだし、完全オリジナル作品を作るのは時間的にも難しそうなので、インドネシアのワヤンをモデルとして物語を作っていくことになった。

次のミーティングは30日。それまでに私が台本を書くことになった(汗)。どんな作品ができるかな、少し脳が刺激されてきたような気がする。

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2007年10月13日 (土)

ハンバーグを焼きながら考えた「呼び水をください!」

今日の肉はちょっと脂身が多そうだ。と思って敷く油を少なめにしたら、失敗した。肉が油っぽいからといって、油を十分に敷かないと、肉の油分が外に出ずにかえって脂っこいハンバーグができてしまう。

これは呼び水と同じ原理だろう。つまりあるきっかけがないと、物事が始まらない、ということだ。お金も同じことだと思う。ある程度の資金があると、それが呼び水になって(広告活動ができたり、設備投資をしたり)、その結果より多くのお金が集まるのではないだろうか。私はここの部分でつまずいている。だからこそ、会社を始める人は躍起になって、より多くの資金を集めようとするのだ。

芸術活動でも同じことだ。何かを始めることは、とてつもなく大きなボールを転がそうとしているのと同じだ。ボールが転がり始めたら、難なく転がし続けることができるのはわかっている。でもその最初があまりにも重くてつまずいてしまうのだ。

芸術はお金を注げば必ずしもよいものができるわけではないが、やっぱりある種の支援があればボールを動かすことができる。海外ではこのことをよく理解してくれている。金銭面の支援でなくとも、練習や(製作や)発表の場所を提供してくれたり、自治体や大学がある期間受け入れてくれたり、ある程度生活に困らず、芸術活動に没頭できる時間と機会を提供してくれる。私はアメリカにいる間、これが当然と思ってきた。しかし日本に帰ってきて、当然と思ってきた支援がないと、何か足かせをされているような、ぬかるみを走らされているような、そんな気がした。時すでに遅しだが、あれだけ手厚い支援をしてもらって本当に感謝している。このような政策が当たり前になっている欧米では「豊かな社会」の定義が金銭面より、精神面、そして文化面に傾いているのだろう。私のようにまだボールが重くて、一人で動かせない人々にとって、これはとてもありがたいことだ。

よく考えると、これは芸術家だけの問題ではない。ネット難民の多くの人たちが、ほんの少しの呼び水を与えられたら自立できるだろう。職業支援、住宅支援、教育支援、考えればいろんな方法で支援できるはずだ。若者を甘やかすな、という声も聞かれそうだが、これは甘やかし出はなく「呼び水」なのです。そこの違いを理解してもらえないのがとても残念。

「呼び水を注いでください!」と声高に叫んでみる。だれか聞いているかな。

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2006年12月31日 (日)

K画伯ー5歳の誕生日

Kは今日5歳になる。思い起こせば、身の引き締まるような寒い日だったなー。空は雲ひとつない青空(その後は陣痛と、出産といろいろあり、覚えているのは病院に向かったときの青空だけ)。

長いようで短かった5年間。その間に彼はどんな世界を見ていたのだろうか。親は子に育てられる、というけれど、まったくそのとおりで、自分の未熟さとひとつひとつ向き合わせられた5年間だった。自分に過度のコンプレックスや疎外感があると、それが直に虐待やニグレクトにつながってしまう、そんな地獄への落とし穴がぽっかりと、しかも身近に口を開けていることも身をもって感じた。

悪の連鎖を断ち切ることを目標にしてきたものの、気がつけば、自分と同じ風景を子供にも見させているのではないか、という疑問が浮かび上がる。一見すくすくと育つKを見ながらも、そんな疑問を日々抱いてきた

H幼稚園は絵を描くことを推奨している。何を描く、というより、感情表現の手段として絵を重要な位置においている。私は幼児期のさまざまな理由から、まったく絵がかけない。絵を描くことによって、自分の感情と向き合う手段となれば、本当にすばらしいことだ、とかねてから思っていた。なのでKが楽しんで絵を描いているのを見るのが、自分のことのように楽しい。今学期もたくさん芸術作品(?)をもって帰ったので、それを何枚か紹介します。

「とりとくわがた」「かまきりくわがた(?)」「あめ」だそうです!

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2006年10月 9日 (月)

珍しくロックの話でも――The Doors

アメリカに行くと日本と価値観が逆転していることが感じられる体験をする。そのひとつはロックグループの評価の差だ。日本ではあまり有名ではないのに、アメリカでは伝説的なグループが数多くある。その中でも60年代に活躍した「The Doors」はいまだにアメリカでは熱狂的なファンを抱えるグループのひとつだし、アメリカ文化に影響を与えた、という点では、もちろん私的な感想だが一番重要なグループともいえるのではないか、と思う。

なぜ急に「The Doors」のことについて書いたかというと2晩前にBSで特集をやっていたからだ。私の見たことがないような映像がたくさん出てきて、感動した。まず40年という時間を経ても、ヴォーカルのジム・モリソンの強烈なオーラは矢のように飛んでくる。ジム・モリソンのカリズマ性は今でも語り継がれるところで、彼は1971年、パリで死亡したのだが(多分ドラッグの打ちすぎで)、多くのファンの間ではアメリカ政府の陰謀説、はたまたアフリカのどこかに身を隠していてまだ生きている、などといううわさがささやかれていたらしい。

この番組を見ての感想だが、彼らは当然ロックグループに分類されるものの、ライブの映像を見ると前衛実験的パフォーマンスグループ、という感じがする。これはジム・モリソンもキーボードのレイ・マンザレクも映像の世界に興味を持っていたからかもしれない。しかもジム・モリソンは歌手としてはもちろん、もしかしたらそれ以上に詩人としての評価が高い。時として彼はステージ上で詩の朗読をしているようにも見える。

それから音楽的なことだが、レイ・マンザレクが「The Doors」の音楽を支えていたような気がする。もちろんあの特徴的なオルガンやキーボードの音はマジシャンの様でもあり、催眠術師のようでもあり、まぎれもなく「The Doors」のトレードマークだが(猫背でオルガンに覆いかぶさるような弾き方も特徴的)、それ以上にジム・モリソンの詩人としての欲求を音楽的に表現していると感じた。

日本では「The Doors」というと、いくつかのヒット曲を残し、ジム・モリソンの死とともに、散っていったグループ、という印象が強い。オリバー・ストーンが映画を作ったのでこちらを見た人も多いのではないだろうか。もしかしたら言葉の壁もあって、ジム・モリソンの詩が日本に伝わりにくい、ということもあるのかもしれない。ネットでよい情報源を探したが、あまり見あたらなった。大まかなことはWikipediaに載っている。

おまけだが、私は大学で民族音楽を勉強した。民族音楽の定義だが、一応西洋古典音楽を除くすべて、となっている。したがってロックやポップ、流行歌、などを取り上げることも多い。私も「ロックの歴史」なんていうクラスとった。楽しかったのはいうまでもありません。

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2006年9月24日 (日)

ナマステ・インディア

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今日は踊りの練習日。その前にちょっとだけ代々木公園で行われたナマステ・インディアへ行ってきた。これはインド文化の紹介を目的として、インド大使館、外務省、その他もろもろの企業、NGOが協賛して行われるイベントだ。

久々の原宿の喧騒を通り越して、会場に向かう。最近はITなどの産業も発達している国なので、そのような企業の参加も多い。会場にはかなりの人。そのうちの多くの女性がインド風の格好をしていた。思えばずいぶん昔、こんな格好して東京を闊歩していた私。あのころはじろじろ見られたけれど、今じゃビンディ、ノーズピアスなんて普通。ずいぶん変わったものだ。

とにかくステージを見ることが第一目的(第二目的は買い物、第三目的は食べ物)なので、ステージに行くと、ラージャスターンの人形劇をやっていた。シンプルながら見始めるとかなり面白い。音楽は歌と太鼓、そして人形遣いの人が吹く笛(口琴)のみ。_065_1

_066 人形劇が終わるとすぐ、小ステージに急いだ。こちらは南インドの武術「カラリパヤット」の実演とお話。話には聞いていたが、いままで実演されているのは見たことがなかったので興味津々。この2つのステージの間には数多くのレストランや雑貨屋がひしめいていて、こちらのほうも興味津々なのだがとにかく「カラリパヤット」の実演に急ぐ。

後ろのほうに座ったので、よい写真は撮れなかったが、いろいろな型の実演が面白かった。武術というのは世界共通な部分が数多くあり、そのひとつに動物の動きの模倣があげられる。アジアの舞踊はかなり武術に基礎を置く部分が多く、こういう実演はとても面白い。このステージで後ほどインド音楽を演奏するティム・ホフマンさんは友人なので、挨拶をして、今度はまた大きなステージに戻る。次から次とイベントがあり、しかもあまり時間がないので、またもやレストランと雑貨屋の数々を横目で見ながら通り過ぎた。

今度のメインステージはオリッシー。オリッシーはインド東部のオリッサ地方の古典舞踊。インド舞踊は何でも大好きな私だが、その中でももっとも美しい踊りのひとつではないか、と思う。踊りに見とれていて、写真は撮れなかった。すみません。

次はバラタ・ナティアムとオリッシーを両方やるグループ。このグループは人数が多く、いろいろな人が参加しているのが面白かった。

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こう見ると東京でのインド舞踊人口はかなりのものではないか、と思う。昨日もたくさんのグループ、個人が参加していたらしい。昨日のモヒニアッタムの公演を逃したのが残念。

ということで、盛りだくさん過ぎるイベント会場から後ろ髪を引かれる気持ちで去った。気がついてみれば楽しみにしていた野菜カレーも、チャイーも堪能できなかったし、買い物はまったくしなかった。時間がぜんぜん足りません。来年はもっと準備万端で行こう、と思った私でした。

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2006年9月23日 (土)

srimpiの(勝手な)鎌倉文学館案内

コンピューターが復活しました。復活第一弾特集(?)「srimpiの鎌倉文学館案内」です。昨日行ってきました!

鎌倉文学館の詳しい場所や歴史はウェブページ鎌倉文学館に詳しいのでここでは省略。ちゃんとした案内はこちらのほうを見てくださいね。

この元豪邸は長谷のバス通りから山側に徒歩5分くらいの場所にある。歩いてみるとよくわかるが、ずっとゆるいのぼりの傾斜になっている。金木犀のにおいがどこからともなく漂う中、道端には彼岸花も咲き始めている。散歩には最適の季節になってきたことを実感。

高圧的な門を通り、私道に入ると徐々にうっそうと木々が生い茂り、早くも豪邸ワッチャー(私)の心をくすぐる。豪邸というものは、成金では買えない何かをかもし出しているものだ、そう私は信じている。そんな歴史をこれらの木々が語ってくれるような気がする。そして木々の間から邸宅が見え隠れする。これも豪邸訪問の醍醐味。

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_018 さて現在「鎌倉文学館」となっているこの邸宅はちょっとした高台の上、山に抱かれるように立っている。当然景色はすばらしい。家からスロープになって続く庭、その先に広がるのは長谷、そして海。私は数ある豪邸の中でも、「家から下にスロープする庭、その庭とつながるようにぱっと広がる景色」というセッティングが大好きだ。

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_019 建物自体だが、私はここの青い屋根瓦があまり好きではない(管理している鎌倉市の苦労も知らず、勝手に文句を言ってすみません)。家の中は鎌倉に在住したり、縁の深い文学者たちの原稿や本などの展示がメインだ。興味深かったのは彼らの原稿。ずいぶん書き直してあって、一流の作家でも、苦しんで書き上げたのだな、ということが原稿用紙を見ると伝わってきた。ここでまた文句だが、展示物のためにこの豪邸の広さがまったく感じられない。もっとだだっ広い、整然とした空間を見たかった。

休憩室があったのでお茶を飲みながら与謝野晶子に関する本を読んだ。ちなみに私のおじいちゃんも短歌を書く文学人だったので、こういう話はとても興味がある。そういえばおじいちゃんの残した与謝野晶子の原稿が私の部屋に飾ってあったような、あとでチェックしてみよう。

次に庭に出てみる。バラをたくさん植えていて、春は見ごろなのだが、今はあまり咲いていなかった。でもこのだだっ広い庭は気持ちがよい。そして豪邸お約束の大木がある。これもお金では買えない歴史。リッチな気分になること請け合いです。これからの季節にいかがですか?

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私の豪邸ワッチャー趣味は、こんな広い空間で踊りを踊ってみたい、という趣味と実益(?)を兼ねています。こういう空間にいると、イメージが広がってきます。幸い鎌倉市には素敵な邸宅がいっぱい。鎌倉文学館も「いつかここで踊れますように」と心の中でお願いして帰りました。

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