2006年12月27日 (水)

掃除苦手な私の苦しい毎日

幼稚園は20日でお休みに入り、私はすぐに大掃除モードに入った。…つもりだったのだが、なれない作業で一日でダウン、気持ちが悪くなってしまった。何せ、どこをどう掃除してよいのかもあまりよくわからない。松居○代師匠に弟子入りしたい。

混乱の理由を分析すると、とにかくさまざまな種類のものがあふれている、ということだ。まずは踊り、音楽関係の資料。これは簡単に捨てるわけにいかない。たまりにたまった楽譜、カセットMD、ビデオ等、特別な部屋が必要なぐらいだ。その上、私に重くのしかかっているのは踊りの衣装。これも処分するわけにはいかない。長年少しずつ、なけなしのお金をはたいて集めてきたもので、思い入れも深い。しかしこれが生活のスペースを侵略しつつある。

そしてKのおもちゃ。以前もお話したと思うが、Kが通っているH幼稚園では既成のおもちゃをまったく使っていない。なので、家にあるおもちゃもどんどん出番が少なくなっていき、今ではまったく使わないものばかり。埃はたまるし、貴重な場所も取る。でも奴は奴で思い入れがあるらしく、絶対に捨てたがらない。「捨てられない女」の私もその心情は痛いほど理解できる。先日Kの古い雑誌をまとめて捨てようと思い、そっとほかの処分する本と一緒に重ねておいた。しかし紙のごみを出す日がくる前にKに見つかってしまった(というか、かくしてあったので、私も捨てるのを何週間か忘れていたのだ)。「あれ、俺の本がこんなところにあった。なんでだろう、やれやれ」と独り言を言いながら、また部屋に持っていった。「しまった」と思ったものの時すでに遅し。

こんなことを繰り返していくうちに、ゴミ箱化していくわが部屋、我が家。捨てられる人間の存在は貴重だ。大体にして男性は思い切りがよいのだろうが、悪いことにうちはシングル家庭なので、イニシャティブをとる人がいない。私ががんばるしかないんだけどね。

そんな中ぶったおれた私を救ってくれたのが、23日のガドガドクラブのパーティー。私は踊りに行ったのだけれど、その後、たらふく食べてきました。料理大会のごとく、次々に作っては食べる、こういうパーティーもよいものですね。しかも大好きなエスニック料理ばかり。料理の過程をみることができるので、料理下手な私もいくつか貴重なヒントをゲットしてきましたよ!

| | コメント (0)

2006年11月25日 (土)

住宅は文化だ!その6

長嶋氏のコラムや本、ホームペーを読んでみて発見したことをいくつか。

1.人付き合いがわずらわしい人はマンションを買うべからず。

人間の孤立化が進み、その結果マンションが好まれている、そう思ってきたし、実際そうなのであろうが、それが大きな間違いである、ということがわかった。新築マンションの資産価値は入居したらすぐに中古ということになり、どんどん下がる(これは一戸建てでもおなじだが)。しかし、もともと同じ資産価値があったマンションでもどのように管理、修繕するかによって資産価値がぐっと変わってくる、ということだ。意識の高い住人が集まり、細やかに修繕を続けると、資産価値は高い水準を保てる。しかし、大規模なマンションだったり、意識や価値観の異なる人々が集まるマンションだとコンセンサスが得にくく、結局修繕や管理がおざなりになり、その結果資産価値が落ちることもある。自分の住んでいる物件の資産価値を高めようと翻弄する人にとっては、まったく無関心な人の存在は苦痛であろうし、その反対も言える。つまりマンションに住もうという人は、積極的にコミュニティーを作り、自分たちの環境や資産価値を守ろう、という気概のある人に向く、というわけだ。

2.買ってはいけない家が東京にたくさんある。

これは長嶋氏のホームページの買ってはいけない家、というページを見ていて「エッ!」と思ったことだが、ここに絶対買ってはいけない家、として紹介されているのは、まさに都市部で数多く建設されているタイプの家ではないか。というより狭い土地に作られているのはみなこのタイプの家だ。しかもここに書いてあるように木造が多い。よく考えれば、確かにこのような構造の家は強くないだろう。これは大問題なのでは。

3.日本では日々古い住宅が壊されていく。これはストップしなければならないことのひとつだが、その廃材はどうなってしまうのだろうか。5月にジャワで起こった地震の被害は大きく、いまだにテント生活を送っている人が多い。建築資材も品不足だし、値段も高騰している。しかもインドネシア各地では木々の伐採により大きな環境問題が引き起こされている。カリマンタン(ボルネオ)で森林火災が発生し、オラウータンが1000匹以上犠牲になった、ということだ。

あちらで高級とされる木はチーク材だが、これは保護されている木であるし、今現在家を再建しようとしている被災者の手に届くものではない。木材のことについてはあまりくわしくないが、チークは強度にもすぐれ、湿気にも強く、シロアリが付きにくい。日本でも建築資材として使われているはずだ。チークに限らず木材はしっかりしていれば何十年でも(多分100年くらいは)もつはずだ。日本の古い住宅には比較的良い木材が使われていて、しかも古いのでよく乾燥されているはずだ。そんな良い品を廃材にするより、木材を緊急に必要とする人々に送れないものだろうか。住宅を壊すのは重機を使って、普通の住宅であれば一日もかからず更地になる。ということは、木材が全部無駄になっている、ということだろう。経費の節約のためだろうが、ここをどうにか良心的な業者が協力してくれないものだろうか?環境的に大きな犠牲を払って木材がわれわれの手に入る。それに対して何かお返しをするべきではないだろうか。

| | コメント (2)

2006年11月 8日 (水)

住宅は文化だ!その5

長嶋修氏のコラムは続く。同時に私の興味も高じて長嶋氏の著書を一冊読んでみた。

タイトルは「なぜ『耐震偽装問題』は起きるのか」だ。

この本のメッセージは簡単に言えばこういうことだ:

日本人は住宅を購入しなければ一人前ではない、というプレッシャーに弱く、不動産に対する知識も関心も低いまま新築物件を購入する傾向が強かった。固定観念にとらわれずに、自分のライフスタイルや優先順位を見直して、住宅を選ぶ(その中には買わない勇気も必要)ことが必要とされている。同時に生きていくための知識として、不動産の知識を勉強すべし。

不動産業界の問題点としては、この本の見出しを列挙するので、ぜひとも読んでいただきたい。

「構造設計偽装」の背景

「売れるマンション」ができるまで

「骨粗しょう症マンション」の増加

「劇場化」するモデルルーム

低下する供給側の妥協ライン

マンション販売「チキンレース」

「しわ寄せ」はすべて購入者に

「妥協の産物」の造られ方

広がる理想と現実のギャップ

誰も幸せにしない媚びた家造り

誰も責任をとれないシステム

これを読んだだけで、だいぶわかってくるのではないか、と思います。要は私たちが本質を忘れ、表面の美しさだけを追求する、という浅はかで未熟な文化に染まってしまっているつけがここにくるのです。そういう意味でわれわれも責任は大きいのです。

否定的なことばかりではありません。今週のコラムの内容ともだぶるのですが、これからの住宅事情と住宅市場そして住宅文化は大きく変わってくるそうです。まず、国土交通省はこれまでの「どんどん壊して、どんどん建てる」という新築偏重の政策を変換し、現存の住宅を上手に活用していこう、という方向に進んでいるとのこと。これによって今まであまり見向かれなかった中古物件が生きてくることになり、同時に、「古いが、味と趣のある住宅」の価値が上がる。もうひとつ重要な動きは、購入者の意識が変わることにより、都心から何分、駅から徒歩何分などという交通の便ではなく、環境や景観、雰囲気、文化、安全、子供の育てやすさ、そのような数字で図れないものが住宅を選ぶ基準となるだろう、ということです。

なんかわくわくしてきます。この問題を知ってから家を見る目が変わりました。鎌倉には古くて趣のある家がたくさんあるのですが、その家一軒一軒がいとおしく感じます。そして住人の意識が変わることによって、住宅の資産価値、そして文化価値が上がることを祈ります。

| | コメント (0)

2006年10月29日 (日)

住宅は文化だ!その4

先日から紹介している長島修氏のコラムは続く。今週の話は、中古の物件の質のばらつきについてだ。同じ値段でも本質的な部分、つまり骨組み、構造の質が必ずしも均一ではない、とのこと。つまり我々は外見のきれいさにごまかされやすい。また、日本には客観的に物件を調査して査定し、物件のメリット、デメリットを消費者に公正に伝えてくれる第三者機関がなく、そういう習慣もなかった。

携帯電話ひとつ買うのに、雑誌の特集記事を読んだり、いろんな人が独自のテストをしたり、それをいろいろ参考にしながら買う私たちなのに、一生に一番大きな買い物をするときに、お金を払ってでも客観的なエバリュエーションをしないのはおかしい。しかし日本人はそういう国民かもしれない。最近までお葬式や手術費など、大きな買い物、重要な買い物の時にはあえて値段やサービスを問わないのが普通だった。

さて、私の関心は、どうやったら良い(多少不便でも、趣のある、そして廉価な)中古物件を借りたり購入することができるか、ということだ。そして中古住宅ならではのニーズ(修繕、維持)を滞りなくできるようになるか、ということかだ。

これも地域でネットワーク化ができれば、不可能ではないような気がする。まずは市場に出ない中古物件を持つ人と中古住宅を探している人を結びつける機関が必要となるであろう。そして中古住宅を維持するために必要な技術を持った人々もネットワーク化する必要がある。しかし、日本は国として、もうこういう方向に進んでいるらしく、法案もできているそうだ。来週のコラムは多分これについてだ。東京新聞を購読している皆さん、ぜひ読んでください。

長い年月を海外で過ごした後に日本に帰ってきて、一番さびしく思うのは、古いが趣のある住居が最初は空き家になり、放置され、数年後には更地になっているのを見るときだ。どうかこの家に、そして庭に、木々に生きるチャンスを与えてください、と思う。が、無常にもたいていの場合はそんな望みがかなうことはない。確かに持ち主でもない私には、何を言う権利もないだろう。でも景観、環境、歴史、数字では図れない何かが日々失われていく。この現象が今の日本を象徴している、と思うのは私だけだろうか。

| | コメント (2)

2006年10月25日 (水)

住宅は文化だ!その3

現在の日本では中古住宅のメリットよりデメリットの方が多いように感じられる。私は個人的に寒いのがこたえる。もちろんこれはメリットもあり、機密性の高いマンションのようにアレルギーや結露が起こりにくい。私は寒いのが嫌いだが、マンションの部屋にいると息苦しくなる。なのでこれはどっちもどっちだ。

あと大きなデメリットはメンテナンスが難しい、ということだろう。古い住宅の修理をする人が極端に少なくなってきているらしい。中古住宅を安く買っても、維持する上でのコストがかかりすぎたり、修理できなかったり、問題が発生する可能性が高い。

でも実際にはメリットは計り知れないと思う。第一にエコロジーとリサイクルの面から見てのメリットだ。第2に高齢化が進み、社会の2極化が進むにつれ、低価格で購入、または賃貸できる住居が必要となる。この現状に対処するためには中古住宅がとても重要なキーポイントになると思う。第3に景観、コミュニティーの保全の面からのメリットだ。

土がある生活も多くの人にとって、メリットに違いない。ところであまり日本では問題になっていないが、イギリスでは子どもは高層住宅に住むべきではない、というのが主流の考え方だ。そんな観点からも中古住宅は子どもにも優しい。

なのに中古住宅を選ぶ人が少ないのはどうしてだろう。(続く)

| | コメント (0)

2006年10月24日 (火)

住宅は文化だ!その2

2日間東京へ行ったり、いろいろ忙しくてついつい更新が遅れてしまいました。先週の話題になるのですが、この前ご紹介した不動産コンサルタントの長嶋修氏のコラムがますます面白くなってきたのでまたぜひともその要約を載せたいと思います。先週の内容は住宅は文化だ!をご覧ください。

先週は日本の住宅寿命の不自然な短さとそのからくり、という内容だったが、今週は中古住宅事情についてだ。これも私はかねてから疑問に思っていたことなので、読んで非常にすっきりした。同時に何かしなくてはならない、という気持ちにさせられた。

毎年毎年日本中で高層マンション、新築住宅が建設されるが(このコラムによるとその数年間120万戸!!)、そもそも日本の人口は減少しているはず。今にゴーストタウン化した住宅街やらマンションやらが出てくるのではないだろうか。

長嶋氏のコラムによると日本にはすでに700万戸以上の空き家があるのだが、にもかかわらず、中古住宅の流通戸数はたったの20万戸。これはおかしい。

計算上は新築住宅を作る必要はまったくない。しかもあまっているものをわざわざ高く買う必要はあるのだろうか。けちな私は当然そう思う。

確かに新築の家のピカピカのきれいさと清潔さには誰もがあこがれるだろう。でも残念ながらそれは客人が来るからといってあわてて施した化粧のように、化けの皮がはがれるのも意外と速い(場合が多い)。住宅の表面上のきれいさにあこがれても、その内面から湧き出る歴史とか、味わいとか、長い時間をかけて育まれてきた環境との調和、そんなものはお金を出したからといっても簡単に得られるものではない。そもそも住宅の内面、というのは住んでいる人間なのだから、住んでいる人間の豊かさが住宅の豊かさを決定付けるのではないだろうか。

中古住宅の流通量の少なさは、なんとなく理解できる。中古の住宅を売ったり、貸したりしたくても、このような住宅ではちょっと売り手(借り手)がいませんよ、それならば新築するか、土地を売却して、マンションにでも移られたほうがよいのでは、というシナリオに誘導されそうだ。でも、リフォームがはやりでカリスマ的なリフォームを施す人も大勢いるのだから、住みにくいところ、汚いところは改善してすでにあるものを最大限利用することはできないのだろうか。これこそが究極のリサイクルだ。エコやリサイクルがこんなに叫ばれているのに、これをしないでどうする、と叫ぶ人がもっといてもよいと思うのだが。(続く)

| | コメント (0)